楽園都市 下 サンプル

 はあ、とひとつため息をつくと、ユウリは手を下ろしてウォルターに視線を向け直した。
「君には悪いけど、ここまでの仮説が全部まったく間違ったものであることを願うよ。退去を指示された子どもたちがどうなったのかということも、これまでの死亡者と堤防裏の存在とのかかわりも」
 ウォルターは下方に向けていた視線を上げると、唇の端に笑みを浮かべる。重ねた仮説の複雑さのせいだろうか、その瞳にはいくらかの疲労が浮かんでいるように見えた。
「……いや。悪ぃけど、多分、これで正解だろうとおれは思っているよ。その判断する理由は──悪いな、もう少し時間をくれないか。今はまだ、おれ自身……」
 歯切れがいいのか悪いのか、ウォルターの口調はどちらともつかずにぐずぐずしている。
「仮説を支持するけど、根拠は薄い? なんだか怪しいなー、何か企んでる? えい、白状しなさい」
 肘をあげてつつくようなふりをしながら、ユウリは冗談めかして言った。ウォルターは気の抜けたような顔を作った後、くつくつと笑い出す。
「怪しいって、おまえな。白状するも何も、おれにやましいことがありゃ、それくらいは分かってるはずだろう」
「んー。それはまぁ、そうだけどー」
「そんなことより、もうひとつの具体的な例をあげてやるよ。さっき言ったろ、例はふたつあるって」
 冗談を受け流す表情からいくらか真摯なものにウォルターは表情を戻し、ユウリは小首を傾げて話の続きを待った。
「前置きするけど、つまりそれは、おまえ自身に関しておれが常々思っていることさ」
「……わたし? この夢の状態とわたしとが、どうしてここで話題になるわけ」
 尋ねられたウォルターは、すぐには声を返してこない。
 ユウリは口を閉じ、いぶかる、というよりはクイズの答えを教えてもらえなくてすねるような表情を作った。
 その表情を見、こいつの性格由来ではあるんだろうが、おれの上に立つはずの解析者であるということをつくづく忘れさせてくれる態度だな、とウォルターは苦く笑う。
「早い話が、こういうことさ。おまえが必要としてんのは、本当におまえのパパ自身なのか──」
 パパ、という単語が出たあたりで、ユウリの顔から表情が消えた。
「本当はそうじゃなくて、パパを助けようとしているおまえ自身をこそ、おまえは必要としているんじゃないのか?」
 ウォルターの口調は淡々としていて、その胸の内にあるはずの感情は読みとりがたい。
 口調と同様、何を考えているのか分からない瞳に正面から見つめられて、ユウリは反射的に唇を歪ませるようにして笑んだ。わたし、きっとひどい顔をしている……。
「な……何。君さ、昨日もそうだったけど、要するに何が言いたいの? わたし、そんなこと……」
「そんなことは思ってもいない? そりゃそうさ、錯誤ってのはそもそも気づかれないからこそ存在し続けているんだ」
 ウォルターの視線が上がり、返すことばのないユウリの顔をとらえた。
「……だって、ユウリ。実際、放置されたままのドドナの夢におまえが潜入できるかどうかすら分からんのだぜ? いずれ議会が納得するだろう、なんて本気で思っているのか?」
 疑問を投げかけておきながら、そんなことはまずありえないさ、とウォルターは断言する。
「おまえが優秀であればあるほど、議会は決して承認しない。当たり前の理屈だろう」
 ユウリに口を挟む隙を与えず、ウォルターはさっさと言い終えた。
 ユウリは瞬き、そして、視線をゆっくりと下げる。ウォルターは意地悪だ、と胸の中に声が響いた。
 意地悪。それは、なんてちょうどいいことばだろう。パパを助けたくても許可が下りないかもしれないなんて、そんなことは最初から分かってる。分かってて、それでもこうするしかわたしには方法がないんだから。そんなこと、言うまでもなく誰だって知っている……。
「……ユウリ。だからな、モノは相談だが」
 淡々とした声には、延長があった。暗く沈みかけた瞳を、ユウリは気力をしぼって持ち上げる。
 上げた視線は、だが、すぐに力を失って下を向いてしまった。ウォルターの顔を視界に収めたまま、話を聞く気になどなれなかった。
「相談なんてのは、おかしな言い方かな……。な、ユウリ。おまえ、おれと一緒に──」
 目線を下げたユウリの心中をどう考えているのだろう、ウォルターは勝手に話を続けようとし、そして勝手に口ごもる。
「……いや、いい。もう少し後にするよ」
 話を振ろうとしたところで、ユウリがまるで聞く耳を持っていないようだと思ったのだろうか。ウォルターは唇を結び、ポケットに手を突っ込んで公園の中央へと向き直った。

…以上、第7章中盤より

 混沌とした夢を離れ、眠い目をこすって時間を確認すると、時計の針はとうに十時近かった。センター内にある個室でうたた寝をしていたリイは、ベッドの上で寝返りを打った後、大きく伸びをして体を起こす。
 こんな時間まで寝るつもりはなかったんだから、アラームをセットしておくべきだったな。数時間前の自分の目論見の甘さを恨めしく思いながら、リイは通信機の前に立った。
 必ず果たさなければならない目的があってセンターに来たわけではなし、ダグラスの顔を見てセトアの件を軽くつついたら帰って寝ようと思っていたのに、今日はダグラスとはすれ違ってばかりだ。
 通信機の向こうから得た答えは、アルフレッドの呼び出しを受けた後、事務局には戻ってきていないというそっけないものだった。夜遅くまでご苦労なことだ。
 セトアに関して新しい動きが起こるのはボウの覚醒後のことなのだろうし、今日のところはあきらめて帰るか、それともこのままここで眠るか。
 鏡をのぞいて身だしなみを整えながら、そうだ、まだセトアの監視室には様子見に行っていなかったな、とリイは思った。夢の世界の状態について外側から知れることなどたいして多くはないが、気の向いた時が行き時だ。
 センター内に個室があるのはありがたいけれど、緊張感がなくなりがちなのはいけないな。胸の中につぶやきつつ、リイは部屋を後にした。
 ユウリは元気でいるかな。脳裏を流れゆくのは、裏切られることなど絶対に予想していない楽観的なつぶやきだ。
 リイ自身も同じ指摘を受けたことがあるが、ユウリは年齢にそぐわない落ち着きを持った少女だった。監視者、解析者としての活動を若くして始めたせいか、年配の者ばかりに囲まれて育ったせいか──。
 理由をどちらかに求めるとすれば、僕は明らかに前者を支持するな。そんなことを思って、リイは苦く笑った。人のことを言えたくちではないが、子ども時代のユウリを思い出すと、今とはまるで結びつかないようだと思う。お節介なところや子どもじみたいたずらが好きなところは今でもそう変わらないが、子ども時代のユウリは今に比べてはるかに小生意気だった。
 三歳の年齢差があるせいで訓練の開始はリイの方が早かったし、焦燥が強かったことは確かだろう。相当に長い期間がかかるといかに言い含められようとも、気持ちはおいそれとはついていかないものだ。
 だけどこの頃のユウリは、焦燥を無理に仕事への責任感にすり替えてはいないかな。ふとそんなことを思って、リイはぱちぱちと瞬いた。
 そもそもユウリが解析者を目指すことになったのは、覚醒不能事故に陥った父親を救いたいという気持ちがあってのことだ。だが解析者とはそも、一個人を救出するために育成されるものではなく、そのあたりに対する複雑な感情がユウリの責任感の背景にはある。
 目的の不一致を表立って非難する者はいないとは言え、解析者に対する費用を捻出しているのは地球政府だ。そうしたことをユウリは重々承知しているはずで、だからこそ人一倍の責任感をもって仕事と向き合わなくてはならない。無論、ユウリ自身の性格といった要素はあるが、人並みはずれた彼女の責任感を説明しようと試みるなら、ユウリ個人と政府側の目的を不一致を無関係な要素として弾いてしまうことはできなかった。
 アルダンに関する報告書にひととおり目を通し、ユウリ本人と話した感じでは大きな不安は感じなかったけれども、監視者の死亡事故が起こるほどの問題が夢の中にあるとなれば話は別だ。特に報告などは入っていないようだったが、ボウの同調後、ユウリは今も元気でいるのだろうか。
 やがてセトアの監視室に近づくと、リイは自然と足早になった。外からのぞくだけにするか、中へ入るかをほんの一瞬迷った後、出入り口の前に立ってパスを通す。
 エラー音が返ってきた。
 通し損ねるなんて珍しいへまをやったものだと、リイは再びパスを通そうと試みる。だが、扉は開かない。いったい何故、と疑問が胸を踊った。周囲を見回し、それから上部に設置されている掲示板に視線を向ける。
 ──覚醒作業中。
 いったい何故、誰の覚醒作業中だ? 疑問が起こり、次いで体中を緊張が走った。アルダンの事故報告を思い出す。ユウリ!
 中の様子をのぞくことができる場所に移動した後、リイは落ちつきをとり戻そうとするかのように唇を舐めた。そうする一方で、胸の奥にひっそりと違和感がうごめいていることに気づく。おかしい──そうだ、おかしい。予定外のボウの同調に続いて予定外の誰かの覚醒を図っているのなら、この通路にひとりふたりの姿があってもおかしくない。
 意を決すると、リイは通路を蹴って先ほど後にした個室へと引き返すことにした。どの程度、どういった種類の情報が出ているかは分からないが、端末から何か調べられることがあるかもしれない。
 それにダグラス。先ほど、ダグラスは中将に呼び出されていたと聞いた。関係のある動きかどうかは分からないが、居場所の確認が必要だ。
 ざっと分類して、誰かの覚醒を図るとすれば、理由はふたつにひとつだ。ひとつ、同調中の解析者または監視者の意志による離脱。ひとつ、外部からの強制的な覚醒措置……。
 前者の場合はともかく、後者の場合は一定以上の権限を持った人間の許可が必要なはずだった。この状況から許可を出せる人間など、おそらくそう多くはない。
 人材配置や入退室の記録からも拾える情報はあるはずだと、通路を走りながらリイは探るべき情報網のリストアップを始めていた。

…以上、第8章中盤より

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