かさねる、かさなり

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 ……どこか遠くから、かすれるような声が聞こえる。
 女の声だ。かすかに震え、合間に時々、すすり泣きのような音が混じる。
「そんなつもりじゃなかったんです。わたし……同調にはいつだって慎重でいなきゃいけないって知っていたのに、わたし……」
 聞き覚えのある、声だ。そして若い男の声が、それに続く。
「じゃあ、僕が入ってきたのはちょうどその時だったんだね。おかしいなと思ったんだよ、後から聞いたら知り合いらしかったとは言ってたけど……」
「わたしの方が一方的に知っていただけだったんです。確かに彼、政府系の出身じゃないというだけで周囲から一目置かれていたから。でも……」
「リンダさんが悪いんじゃないよ。僕がもっと、ちゃんと聞いておけばよかったんだ。……いずれにしても、覚醒できてよかった……」
 ──リンダ。知っている名だ。
 胸の奥に、アンディはつぶやいた。そしてもう一度、夢の中へと足を運んだ。

 目を覚ました時、あたりは穏やかな光に包まれているような気がした。
 感覚は、朝、自然に睡眠から覚めた時と同じだ。誰かと意識を重ねて夢の世界に立つのとは違う、閉ざされた内的宇宙から外へと開放されたような感覚。
 覚醒を予期していたのか、ベッドのそばにはひとりの女が控え、こちらをのぞき込んでいたようだった。薄く目を開けた瞬間、ああ、と声にならないため息を聞いたような気がする。
「……君は……」
 自覚のないまま、声がこぼれた。そっと手を上げ、その存在を確かめるように伸ばす。
 あてもなく揺れた手を、白く細い両手でリンダは包んだ。腕を伝うように視線を滑らせ、そしてその主の顔へと顔を向ける。
「……リンダ・ラードロフです。……昨日は、ごめんなさい……」
 かすれるような声で女は名乗り、うつむいた。アンディの左手をつかんだ両手が、わずかに震えている。目が、少しだけ赤い。
「昨日……昨日? 僕、いったいどれくらい眠って……」
 尋ねるとリンダは顔を上げ、弱々しく笑んだ。短く息を吸い、眉を寄せて緩く首を振る。
「一晩が明けたわ。……分かっていたの?」
 問いにアンディは瞬き、ベッドの上でわずかに身じろいだ。
「ざっと二十時間ってところかな。さて、僕はボウに知らせてくるよ」
 夢の中でも聞いた、若い男の声がする。
 記憶の中にある声の出現に驚いたように瞬き、それに一瞬遅れてアンディはばっと飛び起きた。ベッドのすぐそばに控えていたリンダが、きゃっ、と短く悲鳴を上げる。
「リイ! 待ってください、あなたは……!」
 名前を呼んだ後になって、アンディはリンダの向こうにリイが控えていたことに気がついた。それに気づくと同時に飛び出たことばの続きを見失い、アンディは体の動きを止める。
「あなたは、何? ボウに聞いたこと──あ、ボウって教官ね。聞いたことを覚えてるかどうかは知らないけど、僕が構築していたのは僕がこの間まで仕事で訪れていた街の風景。訓練室を構築するなんて、そんな紛らわしいことはしないよ」
 飛び起きた衝撃か、それともリイのことばによるものか、頭がひどくふらついた。
 アンディの返事を待ちもせずリイは歩き出し、さっさと部屋を出て行ってしまう。残されたアンディは閉まった扉を呆然と眺めているしかなかった。理解の追いつかない頭でリイのせりふを反芻し、そして夢に見た風景を思い起こす。
「訓練室の、夢を見たんですってね。教官から聞いたわ。同調がうまくいかなかったの、きっとわたしのせいね。ごめんなさい……」
「うまくいかなかった……?」
 リンダのせりふを受け、アンディは額に手を当てた。記憶が、まだ混乱しているようだ。
 そう、同調訓練。僕は訓練室で、二度目覚めた。最初は多分夢の中、そして次は……。
「……教官を呼ぶだけなら、通信機があるのに。きっと、何か誤解してるんだわ」
 独り言のようにつぶやいたリンダの声に、アンディはそっと顔を上げた。目が合うと、リンダは瞬いて視線をそらし、そして短く息を吐く。
「あ──アンディ? あの、昨日の話はちゃんと教官にもしておいたから。わたしが余計なことを言ったせいだって──リイに対して、あなたが気負ってしまうようなことを言ってしまったって」
 リイに対して、気負ってしまうような。
 リンダのせりふを胸に反芻した時、混乱したまま固まっていた記憶がすうっと解けたような気がした。そうだ、僕は彼に対してずっと気負っていた。相手は十八歳の解析者、だが侮ってはならない相手だと。同調に必要なのは何よりも柔軟な姿勢で世界を受け入れることなのに、僕はその態勢を整えることができなかった。挙げ句、訓練室から落ちる夢を見て現実と混同してしまったんだ。
「そうじゃない……そうじゃないよ。君は気にしないで、君のせいじゃない」
 気がつくと、アンディは口を開いていた。不安げなリンダと視線が絡まり、アンディはわずかに息を吐いて笑む。
「僕自身が、彼に重なれなかったんだ。ただそれだけ──ねえ、リンダ?」
 ためらいがちに名前を呼ぶと、そっとアンディは手を伸ばした。ベッドのすぐ上にあったリンダの手に触れ、アンディはもう一度笑む。
 ぴくりと手を動かしたものの、リンダは手を払おうとはしなかった。驚いたように目を上げ、続くせりふを待つように息を呑む。
「……思わないかい? 意識を重ねることは、手を重ねることに似ている。だからどちらかが気負っていたら……」
 せりふの途中で、ぷっとリンダは息を吐いた。続けてアンディの手を押し返し、声を殺して笑い出す。
「笑うことないじゃないか! 君があんまり気にしているし、その……」
 弁解するように言ったが、リンダの笑いを収めることはできなかったようだ。
 膨れっ面を作ると、アンディは転がるようにベッドに寝転んだ。分かったわよ、と取り繕うような声が背中側から聞こえる。
そう、意識を重ねるのに必要なのは気負いじゃない。気負っていたら、うまくいかない。相手がリイでなくても、目的が同調でなくても同じだ。胸につぶやくとリンダを振り返り、上目遣いにリンダを見上げる。
だがこの時のアンディに残された時間はそこまでで、無遠慮な音を立てて扉が開いた。
何を言おうとしたのかは、自分でもよく分からなかった。分かったのは口を開く前に扉が開いたことと、リンダに謝る機会を逸したことだけだった。

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