半月
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気分に合わせて選んだ茶が、甘い香りを部屋に振りまいている。
他人の気配のない部屋で、鼻歌を歌いながらハンナはペンを走らせていた。キーボードやペン型の入力装置に限らず、音声入力や微細な振動を利用する入力など、データ入力には実に様々な方法があるが、手で書くことがハンナは好きだ。好きと言うからには、自身の文字に自信を持ってもいる。
世の中がどんなに便利になっても人間側が追いつかないんじゃ意味がないわね、とハンナは胸の中につぶやいた。二十四年にわたった世界大戦は技術の発展を著しく停滞させたが、それでも人の機能は物質に追いつかない。
身体の機械化を拒むのであれば、情報の取得は五感に頼る他なかった。脳や意識世界の研究は日々進められ、共通する夢のおかげで明らかになったこともいくつかあるけれど、全容が明らかになるだろう日はまだまだ遠い。
成分や効用を考えながら飲んだんじゃ紅茶もまずくなるわね、と息を吐くようにして笑いながらハンナは茶を口に含んだ。甘い香りに口もとを緩ませ、ほう、と息を吐いてソファにもたれる。
無遠慮な呼び出し音を通信機が発したのは、その直後のことだった。
「何よ、騒々しいわね」
席を立ち、通信に出るが早いか、相手の確認もせずに言う。
「夜分恐れ入ります」
通信の相手は、文句を聞いていなかったか聞かぬふりをしたかのどちらかのようだった。
「監視者候補生のユウリ・フォルズをご存知ですか。十二歳の少女ですが、今しがたセンターの入り口付近で──」
「場所は?」
話を終いまで聞きもせず、ハンナは鋭く問いを発する。
「──は? センターの入り口付近で貧血を起こしていたようでしたから……」
「どこに行けばいいかを聞いてるの。二度も同じことを言う必要はないわ」
ハンナの物言いにむっとしたのだろう、男が応えるまでにはわずかな間があった。
「医務局の十八号室で休ませています。ドクター・ハミルトンがあなたを呼ぶようにと」
「今度から運び終える前にあたしを呼ぶのね」
ぴしゃりと言うと、返事を待ちもせずハンナは通信をたたき切った。飲みかけの茶をそのままに、さっさと部屋を出て医務局へと向かう。
画面が暗転する直前、その向こうで男が苦虫を噛み潰すような顔をしたことなど当然見てはいなかった。
……優しく鼻腔を浸すように、ほのかに甘い香りがある。
しんと静まり返るわけではない、だが人の気配にざわついているでもない心地よさに呼ばれ、ユウリはそうっと目を開けた。
真っ先に目に入ったのは、少し柔らかな白い灯りだ。天井は広くて、ここが自分の部屋でないことだけは分かる。
……わたし、どこにいるんだっけ。
一語一語を確かめるよう、胸の中にゆっくりとユウリはつぶやいた。それからわずかに身じろいだ頃、視界の左端に影が落ちる。
「気がついたのね。気分はどう」
「……ドクター……」
かすれるような小声で、ユウリはつぶやいた。
「医務局よ。……自分がどこにいたのかは覚えている?」
問いかけられ、ユウリはゆるゆると首を振る。
その後でゆっくりと、思考がやってきた。わたし、医務局に行こうと思って家を出たんだ。
それに気づくと、他のことはすんなりと思い出すことができた。そうだ、わたし、少尉とリイが部屋に入るのを待って部屋を出た。貧血のような気がしたけどそのまま歩いてセンターに向かって、入り口で誰かに声をかけられたことを覚えている。
「……わたし……ドクターのところに行こうと思って……」
声はぼそぼそと、尻すぼみになった。
胸の辺りまでかけられたシーツを両手で引っ張り上げ、顔を半ば隠すようにしてユウリはハンナから顔を背ける。
汚したシーツも服も下着も、部屋にそのままで出てきてしまったことを思い出していた。
「……最初から、大変だったわね。個人差はあるけど、それよりもプレッシャーの方が大きかったんだと思うわ」
ユウリがシーツの中で顔を背けていることに気づいたのかどうか、ハンナは穏やかな声で話しかけてくる。
プレッシャー、ということばにユウリはぴくりと反応した。
「出血量が多少、多かったのは確かなようね。体調はずっと悪かったの?」
シーツの中で身じろぐと、ごそ、と音が立ったような気がする。気まずいような、あるいはただ気恥ずかしいだけのような、どちらとも判断しがたい気分が頭を持ち上げる。
ベッドの中からハンナに向き直った状態で、ユウリはそろそろと顔を出した。
「……分かんない。ただ、ずっと気分が悪くて……いらいらしてて」
「そ。まぁ大丈夫よ、少しの間ここで休んでいきなさい」
あっさりとハンナは言い、軽やかな動作で席を立つ。
「シャワーを使うといいわ。ところで、下着はどうしたの?」
「……あ、部屋にそのまま……リイとか少尉に部屋に入らないでって言わなくちゃ」
「言わなくても、入りゃしないと思うけどね。鍵はかけてきたの」
問われ、ユウリはこくんとうなずいた。
「規則だから、事務局とボウには報告書を提出するわよ。後はどうする?」
歯切れよく声をかけられ、とっさにユウリは返事を呑み込む。短い間を空けてから、身じろいでユウリはベッドの白に顔を埋めた。
「規則の分は、お願いします。でも、あの、リイとか少尉には内緒にしてて……」
ぽそぽそとつぶやくような声に、ハンナからの返事はない。
それまでになく返事が遅いことに気がついてそっと顔を上げると、ユウリと目が合った途端にハンナは軽く首をすくめた。
「……じきにバレるわよ? シート型を使うにしたって挿入型を使うにしたって、汚物入れは必要だし。流せるように対応してくれればいいのに、ここの設備は男どもに合わせてできてるからね。お手洗いは男女別?」
尋ねられてから、ユウリは初めてその必要性に気づいたような顔をした。
そんなものよね、と胸につぶやき、ハンナは息をこぼすように短く笑う。直接面談をしないうちにこういう事態になるとは思わなかったけれど、頼ってもらえてるんだからいいことにしておこう。
「大丈夫よ、堂々としていればいいわ。この辛さが分からない男なんて半人前だって言ってやりなさい。それくらいでちょうどいいのよ」
ハンナの言いように、短い間を空けてユウリはくすくすと笑い出す。
少し休んでいたせいか、それともハンナをとり巻く雰囲気がもたらすものか。今は不思議なくらい、気分がよかった。
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