半月
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ダグラスがハンナに呼び出されて話をしている頃、ユウリは住処の自室でベッドに転がっていた。ダグラスもリイもセンターにいて、家の中にいるのはユウリだけだったけれど、普段のように居間にいる気にはなれない。
リイに言われるまでもなく、近頃の自分がひどく怒りっぽいことは自覚していた。
なんでもないことで突然機嫌を損ねたり、つっけんどんな応対をしたり。その後でひとりになると毎回のように反省するのに、ふと気がつくとやっぱり妙にいらいらしている。
おまえはまだ子どもなんだ、とコリンに言われたとおりなのかもしれない。わたし、まだ子どもだから訓練にも入れない。
同調訓練は共通する夢の世界への同調に先駆け、熟練の解析者が構築した夢の世界に同調する、または自らが夢の世界を構築して解析者の同調を待つ、といういずれかのパターンを繰り返す形で重ねられるものだった。リイが訓練に入ったばかりの頃は自分にもすぐ訓練の知らせがあると思ってわくわくしていたのに、今ではすっかりそれもない。
人とかかわって生まれる苛立ちが自己嫌悪と倦怠感を呼び、それらが苛立ちを呼んで悪循環の輪にとらわれていることは自覚していた。父親のことについて焦る必要はない、むしろ解析者としての勉学に焦りは禁物だと言われているが、そうかと言ってそれほど簡単に気持ちを操作できるわけではない。
リイはもう、とっくに訓練に入ったのに。ねぇパパ、パパが帰ってこられなかったから、わたしたち解析者になる前にああやって訓練するように制度が変わったんだよ。
父親の顔を間近に見たのは、八歳の秋が最後だった。間近と言ってもガラス越し、手を触れられるほどの距離ではない。
ホログラムを見ても写真を見ても、何もかもが父親とは違っているような気がしていた。
本当のパパはここにはいない。心も体ももっとおとなになって、訓練に入っていい成績を出して。監視者として解析者と連携しての仕事をこなし、その後に解析者として独立、それでも父親の意識があるはずの夢の街への同調を許可してもらえるかどうかは分からない。世界中の小都市において、ユウリの父親のような事故例はいくつかあるが、どこの都市でも事故後に別の解析者が同調を図るといった例はまだない。
道のりはこんなにも長いのに、パパ。わたし、まだ入り口にもたどり着いていない。
考えれば考えるほど陰鬱な気分になると分かりきっていても、思考の輪から抜け出すのはそう簡単ではなかった。
パパに近づくひとつめの入り口、心も体もおとなになること。気持ちはいくら背伸びしてもボウやコリンには見抜かれてしまうし、体は……確かにまだ、子どものままだ。ほんの少し、胸がふくらんではいるけどそれだけ。
そう言えばあのドクター、ドクター・ハンナ・ガーネットっていったっけ。あの人、背も高くてすらりとしてて、でも胸は結構大きかったな。初対面の挨拶を交わしただけの相手を思い出し、ユウリはくすんと鼻をすすった。
鋭く、人を見透かすような目をした人だと最初に思った。少尉は何も言ってなかったけど、穏やかに笑いながら眼差しは真剣だったのだから、多分そうなんだと思う。
それよりもボウの言った、「前に話したが」という一言がとても気になっていた。
それがダグラスの仕事にかかる事柄なら、自分が聞いてなくても不思議はない。だがユウリには、そうではないという気がしていた。そしてそう思う理由は、ひとつではない。
ひとつ、向こうからわたしに話しかけてきたこと。たいていの人は年齢以上の階級に進んでいる少尉を見て必要以上に褒めるか警戒心をちらつかせるのに、あの人にはそれがなかった。
ふたつ、何も言わないうちからわたしの名前を呼んだこと。わたしみたいな子どもはこの小都市にはわたししかいないけど、でもここで働いてる誰かの子どもって可能性もあるはずなのに。最初からあの人はわたしのことを知っていたから、わたしを見ても驚かなかったんだ。
みっつ、その日はもちろん、以後数日が経過したが、その間少尉が一言も彼女のことを話さないこと。いつもだったら何気ない会話の中にその日の出来事が自然と入り込んでくるのに、どちらかと言えば話題に上りやすいはずのことが話題にならない。そしてこれらみっつの理由は、確信に近い推測をユウリにもたらす。
ドクター・ハンナ・ガーネット。彼女は多分、わたしのために呼ばれた人だ。わたしは何も知らされてないけど、多分、間違いない。
確信を胸の中でことばにして、ユウリはもう一度くすん、と鼻をすすった。
わたしが解析者になるということは、そんなにも異例なことなんだろうか。
胸の奥、深い深いところでユウリはそっとつぶやいた。現役の解析者、監視者、技師、それに医師など多くの者が講義の中で性差に触れたが、そうすることですら本当は特別なことなんだろうかという気がしてくる。
こんな時ユウリが思うのは、ママが解析者という仕事を応援してくれたらいいのに、ということだった。
パパが事故に遭った以上、危険な仕事には就かないでと言うのは分かる、分かっているつもりだ。でも、だからこそ危険がないよう勉強している。
危険を分かっている、つもりになっているだけだろうか。解析者になったら赤ちゃんを産むのに政府の許可がいると思うよ、でも実際に出産した人がいないからそのあたりの詳しいことは分からない、という話を理解したような気になっているだけだろうか。
そんなことないもん、と言い切る自信がユウリにはなかった。誰かにそう尋ねられたなら勢いで言い切ることはできても、本当のところは自信がない。
でもあのドクターは、あのドクターならそうしたことに何かヒントをくれるだろうか。
悪循環を繰り返すばかりの思考の中、変更点になるだろう地点は決して見えていないわけではなかった。ただ、認めたくないだけだ。甘えてすがりたいけれど、そうしていい相手かどうかが分からないだけ、否、そういう自分の気持ちを認めたくないだけ、認めたくないだけ……。
知らぬ間に、ユウリは寝入ってしまったようだった。
暗い部屋に、横たわっている自覚がある。瞼は伏せられ、周囲の状況は分からない。
ああ、わたし夢と現実の間にいるんだ。意識のどこかで、ユウリは独白のようにつぶやいた。
睡眠と夢に関して、自分がどういった状態にあるのかを把握することにはそれなりに慣れている。夢や日々の行動に象徴される無意識にあるものがなんであるのか、ということを追究することは、解析者を目指す者なら日常的に行う必要があった。
自身に対するそうした追究は経験となり、知識を裏づけるものとなる。自身の精神分析を受けることは、心理学を志す者にとっては有効なことであった。特定の資格を得るために分析経験を必須とするかどうかは学派によるが、解析者を目指す者の訓練の中には必須項目として含まれている。
だからユウリは、夢を強く意識することに慣れていた。
体の全体が、無重力状態にあるようにふわふわと落ち着かない。そのくせ周囲は妙に暗くて、目を閉じているはずなのに自らの周囲、それも背中側の情景までが暗闇の向こうにぼんやりと透けて見えるような気がしている。自分で自分の背中を見ているような、ふわふわするのに身動きひとつかなわない、この圧迫感の奇妙なこと……。
違う、体はふわふわなんてしていない。意識のどこかでユウリはつぶやいた。
ふわふわなんてしていない。ふわふわしているのは多分意識の一片だけで、横向きの体はずしりと重い何かにずっと圧迫されている。そうされる自分をわたしは近くから見てるけど、見てるわたしをさらに遠くからもうひとりのわたしがさらに見ていて、見られるわたしを意識の片隅で理解しているわたしがいて、それを意識する頃意識はわたしの体へと返っていって、ああこの感覚、わけが分からない。
いったいわたしどうしちゃったんだろう、と何番目かのユウリがつぶやいた、ような気がした。最初につぶやいたのは多分、一番外側の自分。意識が何層にも重なり合って反響して、終いには誰が何を言っているのか分からなくなる。
ああ、いったいわたしどうしちゃったんだろう。もう一度ユウリはつぶやいた。そうこうするうちにすうっと意識がどこかへ引き込まれるように溶けていって、そのままユウリは夢のない眠りの中へと落ちていった。
ハンナとの面談を終えた後ダグラスは手早く仕事を片づけ、早々に帰途についた。ドーム型小都市はそれ自体が政府の施設であるから、すべての仕事を必ずしもセンターでこなさなくてはならないわけではない。
帰宅すると、居間にはリイひとりがいた。何日か前からユウリはひとりでさっさと食事をすませてしまうようで、この日もリイは自ら食事の注文を出し、ちょうど食事を受けとった後のようだった。
「気分が悪いわけじゃない、って言い張るんだったら食事の注文くらいしてくれてもいいと思わない? 最近僕、いつも後から自分の分だけ注文するから、ユウリと喧嘩でもしたのかって事務局で言われちゃったよ」
ダグラスがすぐに食事ができるよう、配膳のすんだ席の前に座りながらリイはぶつつく。
そのままさっさと食事を始めたリイを横目に、ダグラスは持ち帰った仕事を端末のそばへと置いた。
「なんだ、仕事片付けてこなかったの? 珍しく早いと思えば」
上半身をひねって振り返り、リイはけげんそうな顔をする。
「ドクターに──ドクター・ガーネットになるべくならユウリのようすを見ていてほしいと言われたんだ。これくらいの仕事なら、ここにいても十分処理できるし」
「ああ、なんだ。「ハンナ女史」か」
「ハンナ女史?」
つぶやくようなリイのせりふを拾い上げ、ダグラスはリイの向かいのソファへと向かった。
ダグラスが正面に座るまでを視線で追いつつ、リイは軽く肩をすくめる。
「知らないの? 医務局発信、ただいま拡大放送中。盛大にカルテの作り直しをやってるって話だよ、こんな雑な管理でよくこれまで何事もなかったものだ、ってさ」
言い終えてから食事を口に運び、リイはたいしておもしろくもなさそうにダグラスの反応を見た。
「彼女、そんなに有名なのかい?」
「……鈍いね、本当に。その調子じゃ、かなりこてんぱんにやられたでしょ」
呆れたように言いながらフォークを置いて、リイは清涼飲料水のパックを手にとった。
そのまま食事を続けるリイを見やり、ダグラスはひとり渋面を作る。ハンナの部屋でのやりとりの一部を思い出してひとつため息をつくと、リイが顔を上げて苦く笑った。
「言いたいことははっきり言うし、相手が誰でも手加減しないしね。仕事ができて、かつ自信があるからできることだけど」
リイのせりふに曖昧な相槌を打ちながら、ダグラスは食事の手を止める。
「あの人はさ、解析者になろうと思えばなれた人だね。まぁ、そのわりには結構露骨に人を見るけど」
「そのわりには?」
「とりあえず人を見る目はある、って話さ。解析者にもなると何も見ていないようなふりをすることも多くなるけどね、気に留めなくちゃならないことってそんなに多いわけじゃないから。でもその点あの人は、すごくまっすぐ人を見てるでしょ? 素質なんだろうね」
言い終えて、リイは一口清涼飲料水を飲んだ。
リイのせりふの途中からは相槌を打つことも忘れ、ダグラスはぽかんと口を開けている。そのようすにすぐに気づいたらしく、リイは物言いたげに視線を動かした。
「……いや、その、なんだ。珍しいなと思って、おまえがそんなふうに人を褒めるのは」
「別に、珍しいなんてことはないよ」
沈黙を弁解するようなダグラスの声に、リイは憮然と応じる。
そんなつもりで言ったわけじゃないんだけどな、と胸の中につぶやいて、ダグラスは口に含んだ肉の塊を飲み込んだ。
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