半月

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 三日間にわたる訓練を終えて帰宅すると、家にはユウリだけがいた。
 ここでは食事のほとんどは機械式だが、ユウリは簡単な調理と配膳をしてくれる。期待して帰ったつもりはなかったが、帰れば食事の準備がすんでいるのはいつものことだったから、リイは状況を飲み込むのに一瞬の間を必要とした。
 食事の時、座る席はそれぞれに決まっている。奥のソファ、ユウリの隣にはダグラスが座り、リイはだいたいダグラスの正面に座ることが多い。
 だがリイの席にだけ、食事が用意されていなかった。
「ただいま、ユウリ。ひとりで食べてるの」
 訓練後、おおよその帰宅時間は告げてあったし、ユウリはダグラスかリイの帰宅を待ってどちらかと一緒に食事を摂る習慣になっている。
 返事がなかったから、ユウリの機嫌が悪いことは分かりきっていた。 ため息を抑え、リイはそっと質問を投げる。
「あの……僕の分は? 食事……」
「自分で頼めば」
 今度は即座に、そう返ってきた。
 食事ひとつくらい、頼んだところでそう時間のかかるものではない。時間を指定して先にシャワーに入ってもいいし、時間をつぶすのは簡単だ。
 だが、気になるのは時間のことではなかった。
「だから、いったいどうしたんだい? ユウリ、この頃変だってば……」
「ごちそうさまっ」
 話をする気はないらしく、ユウリはさっさと席を立ってしまう。
 リイはそっと嘆息して、ユウリの後ろ姿を視線で追った。
 ユウリは食べ残した食材を裁断式のゴミ箱に突っ込むと、すたすたと歩いてリイの前を横切り、自分の部屋へとこもってしまった。動作のひとつひとつが荒々しくて、取りつく島がない。
 ユウリの機嫌を損ねているのが自分なら謝ろうと思うが、謝る理由をリイは見つけることができなかった。
 コリンには、「すねてるだけだからほっとけ」と言われていた。理由を聞いたが、「女なんざ皆そうさ」とあっさりかわされた。これでは、手の打ちようがない。
 どうしたものかなぁ、と突っ立って考えているうちにダグラスが帰ってきた。 おかえり、と声をかけるとダグラスも食卓の状況に違和感を抱いたようで、一瞬ぴたりと動きを止める。
「ふたりとも食事はすませたんだね? 後は私だけ……」
「僕、一応まだなんだけどね。それはダグラスの分」
 兄が状況を把握し直すのを待って、リイはひとつため息をついた。
「……ダグラスさ、ユウリに何か話した? まだ訓練に入れない理由とかさ」
 そう言えばリイは最近、ユウリのようすがおかしいと言っていたな。ダグラスは唇を尖らせ、これもそのひとつか、とわずかに顔をしかめる。
「いや。その……なんだ、話しにくくて。でも、女医さんが来てくれたろう? ボウからは彼女に任せるように言われてるけど」
「あ、そうなんだ。ふーん」
 いいかげんに応えると、リイはくるりと体の向きを変えた。
「食事は? なんなら、私はセンターに引き返して食べるよ」
「いらない。部屋にフレークがあるから適当につまんで寝るよ」
 ダグラスの気遣いに、リイは面倒くさそうに応じる。
 それならいいけど、とダグラスがつぶやくのを聞きながら、リイはさっさと部屋にこもった。

 初対面からハンナに悪い印象を抱いたわけではなかったが、ハンナに呼び出された時、本音を言えばダグラスは警戒心を持たずにはいられなかった。ハンナの着任から一週間、九月も終わりに近づいたある昼下がりのことである。
 ダグラスの仕事はもっぱら人材配置の調整や書類の整理で、業務が滞ってさえいなければ比較的自由に己の時間を割り振ることができた。出勤時間や帰宅時間も個人の裁量に任せられた部署であり、突然の呼び出しに対応することは可能だ。
 年上の同僚たちに断り、指定された医務フロアの一室にダグラスは向かった。用件はユウリのことだろうという確信があった。
 歩く道すがら思い出したのは、初対面らしからぬハンナの態度のことだ。
 そう言えば彼女のことをボウに尋ねる機会がなかった、とダグラスは胸の中につぶやいた。先送りにしていたつもりはなかったが、現実はどうやらそのようだ。ハンナに関する事柄を先送りにすることは、これまでユウリの女性性に関する事柄を直視できずにいたことと似ている。
 話した方がいいかもしれないと思ってはいたんだけど、言い出しにくかったんだよな。ダグラスは小さくため息をついた。
 ユウリの父親、アンドレが事故により覚醒不能となったのは、ダグラスが十六歳の時のことである。ダグラスにとってのアンドレは、両親亡き後、彼らに世話になったという理由で自分たち兄弟の面倒を見てくれた男であった。
 父親を助けるために解析者になる、とユウリが将来を決めた際、その手助けとアンドレへの恩返しになればとユウリの保護を引き受けたが、役者不足だと考えたことは数知れない。
 現役の解析者でありながら次代解析者の教育に力を注いでいるボウ、若くして解析者として独立したコリン、そして小都市ハバロフに住まう多くの人々が、ダグラスとユウリ、そしてリイを気にかけてくれることでこれまでどんなに救われてきたことか。
 小都市での日々は、男性を中心に構成されている。女性が解析者として職務をこなすためには、月経周期の管理のために常にホルモン剤の投与を受けねばならない上、妊娠、出産には消極的にならざるを得ない。共通する夢や解析者の存在は公表されておらず、人員は常に不足の状態にある。
 さらに、女性解析者を補佐できる医師の絶対数が極端に少ないとなれば、志望者がほとんどないのも道理であった。
 女の子のことは女性に任せるしかない、と考えられる分、ダグラスは賢明である。ダグラスにできるのは、そういう考え方をしない者の揶揄を自身が防波堤となってユウリのもとまで届かないようにすること、くらいのものであった。
 女医の存在が防波堤になってくれると考えるのは、いささか都合のいい期待をしすぎだろうか。第一印象で人となりは知れるという見方もあるが、だとすればあの女医はどうなんだろう、とふとダグラスは考えた。年齢と階級が釣り合わないだけに厭味は言われ慣れているが、初対面の時にかけられたことばには厭味に独特のねちっこさがなかったような気がする。
 気になることがあれば早々にボウに声をかけることにしよう、と思い直して、ダグラスは指示された部屋へと入った。
 医務局には現在、ハンナを含めて四人の医師が勤務し、各人に十五人程度の補佐がついている。医師たちは医療フロアにそれぞれの部屋を持っており、間取りはだいたいどこも同じである。
 それにもかかわらず、部屋に入った瞬間、ここはこんな部屋だったろうかとダグラスは思った。
 入り口正面には背の高い書棚が並び、数え切れない量のデータディスクと本が収められている。右手には簡易キッチンと手洗いがあるが、そのすぐそばまでを書棚が占領し、こちらも余すところなく書籍に埋められている。
「悪いわね。引き継ぎでバタバタしていて、さすがにまだ部屋のレイアウトを変える余裕がないのよ。そのうち整理するから、今は見逃してちょうだい」
 左手から声をかけられて初めて、ダグラスは書棚を呆然と見上げていた自分に気がついた。
「すごい量の蔵書ですね。……十分、整理されているように思えますけど……」
「そうでもないわ。借りたものの返却がまだすんでなくてね、未読のものも多いし」
 言いながら、ハンナはくるりと体の向きを変える。
 肩越しに振り向いて部屋の奥に来るようダグラスを促すと、ハンナはすたすたとその場を歩き去った。
 ハンナを追うように、ダグラスは部屋の奥へ向かう。
 書棚で仕切り、入り口からは見えないように配慮された空間には、机と椅子、それに茶が用意されていた。
 促されるままにダグラスが席に着く間に、ハンナはふたり分の茶を注ぐ。
「ま……用件は、分かっていると思うけどね。ユウリのことをいくつか聞きたいの」
 机上の本立てに立てかけてあったファイルを開き、早々にハンナは切り出した。軽くうなずき、ダグラスは話の続きを待つ。
「この間見た時はおどおどしていたようだったけど、あの子、いつもああいう感じ?」
 興味本位でファイルをのぞき込みかけていたダグラスは、ちらりと上がったハンナの視線に反射的に身を引いた。
「いえ、あんなことは珍しいですよ。人見知りするたちでもなかったと思いますし」
「そう。それならいいわ」
 気になっていたのよ、とハンナは続け、ぱらぱらとファイルをめくって閉じる。
「知っているかどうか分からないけど、あの子、初潮はまだ?」
 率直なハンナの質問に、ダグラスはわずかに顎を引いて瞬いた。
 相手が医師である以上、この種の単語は性的な意味や揶揄をもって交わされるものではない。返答に逡巡する必要はないという思いはあれど、女性からこうした口の利き方をされることにダグラスは慣れていなかった。
「……すみません。ボウから聞いてらっしゃるかもしれませんが、実は、ユウリ本人とそういった話をしていないんです。ですから、そういったこともちょっと……」
「ああ……それはそうでしょうね。話しやすいことではないだろうし」
 ハンナはカップを手にしながらうなずき、茶を一口すする。
 非難めいたことを言われなかったことに安堵しつつ、ダグラスもまた茶を口に含んだ。初対面であれだから、きつい物言いをされるかもしれないという警戒があったことは確かである。
「もう少し身の回りが片づいたら本人にも話をするつもりではいるけど、気がついたことがあったらあたしに声をかけてちょうだい。ボウから聞く範囲では、特に仲のいい同性というのも見当たらないそうだし」
「そうですね。第一、年齢の近い相手と言えばここにはリイくらいしか──あ、リイはご存じでしたか?」
「知ってるわ、弟さんね。この間、少し話を聞いたわ」
 あっさりと言われて、ダグラスはいささか拍子抜けしたような気分になった。リイからは何も聞いていないが、やはりユウリについて話をしたのだろうか。
 相槌を打つかたわらでダグラスが考えていると、ハンナは机に右肘をつき、指先を額に当てて短く息を吐いた。空いた左手で、ファイルをぱらりとめくる。
「正直言って、八歳だったからできた決断だと思わないではないわね……」
「……はい?」
「子どもを産まない、という決断よ。……明文化された規定があるわけじゃないし、不可能というわけではないでしょうけどね」
 どう応えていいかが分からず、ダグラスは沈黙した。
 ハンナは広げたファイルに落とした目をちらりとダグラスに向け、声もなく口もとだけで笑む。そのまま無言で視線を落とすと、ハンナはファイルのページをめくった。
 開いたページに、ユウリの顔写真がちらりと見える。ファイルはどうやら、ユウリのためにハンナが独自に作ったもののようだ。
 ユウリのためには消極的になってちゃいけないんだ、と思い直し、ダグラスは遠慮がちに口を開いた。
「あの、何か注意点と言うか、気にしておいた方がいいようなことはありますか。私も、特に親しい女性がいるわけではないので……」
「ああ……」
 気だるげに返事をし、考え込むようにハンナは視線を横へとずらす。
 ややあって額に当てた手を外すと、ハンナは身を起こして正面からダグラスを見直した。
「率直に聞くけど、女性経験は?」
 質問に、ダグラスはぱちりと瞬く。
 今度は左手で頬杖をついて、ハンナはダグラスの方を向いたまま瞬いた。
「つくづく奇襲に弱いのね、まぁいいわ。そうねぇ、あの年頃の女の子だと……」
 ひょっとして今のは、経験が薄いと見て揶揄されただけだったんだろうか? そう思い当たり、ダグラスは渋い顔を作る。
 そうこうする間にハンナは何事もなかったような顔でダグラスを見、口を開いた。
「個人差があるけど、発毛、体つきがふっくらする、特に胸やおしりが目立つようになるとか──あの子、私服や下着は自分で注文してる?」
 揶揄なのか、それとも医師として単なる指標としての問いだったのか。そんなことにこだわっているのはもしかしたら自分だけなんだろうか、と考え、わずかの間を置いてからダグラスはうなずいた。
「はい。以前はまとめて注文してたんですが、少し前から自分で」
「ということは、あの子自身、体のことを気にしていることの証拠よ。後のことは、そうね、日常的に見てでもいない限り……」
 そこまで話して、ハンナはぴたりとせりふを区切る。
 なんだろう、とダグラスがわずかに首を傾げた頃、ハンナは疑疑を思わせる目線をじっとダグラスに向けた。
「……それにしたっていくら気になるからって、そういうそぶりは出すもんじゃないわよ? 繊細な年頃というのはもちろんだけど、今あたしに聞いたようなことは決して口にはしないように」
「しませんよっ。あなたが女医さんだからうかがっただけのことですっ」
「だったらそんなにあわてないのよ。まったく、ボウの周知徹底ぶりもたいしたものねぇ」
 狼狽したダグラスに対して、ハンナはいたって平然としている。
 それどころか話の矛先がころりと変わったことに、ダグラスは口を尖らせて沈黙した。どうもこの女医には、どこまでが本気でどこからが揶揄なのか分からないようなところがある。
 確かなのは、何を言うにしても遠慮のなさそうなその口ぶりだけだった。

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