地球標準暦61年…
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「時間が必要です。たとえば、そう――百年」
薄暗闇の中に男の声が響いた。淡々とした声だった。
「百年?……馬鹿げた試算だ」
別の声が応えた。
「そうおっしゃるなら」
最初の声は、まるで動じたようすを見せない。
「五十年でもかまいませんよ。それだけの金と労働力があるならね」
別の声は、沈黙だけを返した。やがて深いため息が返事に代わる。
ため息に応じる声はなく、部屋には沈黙の霜が下りた。街を見下ろすガラスの壁の向こうはとうに暮れ、空は一見、満天の星に埋められている。
部屋から見える星々が、人の手により創造されたわずかばかりの光源であることを男たちは知っていた。果てのない海、真空の空に浮かぶ真の星はいまや舞い上がった粉塵に姿を隠し、月のない夜が訪れてさえ肉眼では確認できない。
「この街は美しい」
最初の声が、ぼそりと言った。
「もし、この事業を実行に移すとして――」
声に続いて、ぱちりと指の鳴る音がした。コツ、と固いかかとが床を蹴る音が続く。
背後に控えていた無言の部下から資料を受け取って、最初の声はことばを続けた。
「百年を費やした場合と五十年を費やした場合では、三倍以上の金が後者にはかかる。労働人口は二・五四倍」
「ロボットはどうだね。労働専門の」
さらに別の、いささか老いた声がことばを受けた。薄暗闇の中、男たちの視線が動き、風体のはっきりしない影をちらと見やる。
「奴らは創造しない」
断罪するようにきっぱりと、最初の声は言った。
「人間を越えた人工知能の存在は事実――二百年前にはすでに確立された技術だ。彼らにはあるいは、人類の未来のための創造が可能かもしれない。だが、それは労働人口とするにはあまりに高い投資」
もの分かりの悪い子どもを説くように最初の声は淡々と続けた。老いた声はすでに力を失い、返事さえ返さない。
「しかし――しかしだね、ラング君? 君の言う、その――冷凍睡眠技術」
代わって、二番めの声が空気を震わせた。ことばを探すように途切れ途切れの発声をしたわりには、内容は複雑なものではない。そこには己の発することばを疑うような響きがあった。
「古い古い時代――それも大戦前の話どころではない――何世紀前の夢物語だね?」
尋ねる男は、肌のみならず声にまで汗をかいているようだった。
「失礼」
ラングと呼ばれた最初の声は短く応え、含み笑いをこぼした。灯りのない部屋ではその表情をうかがい知ることはできないが、尋ねた男にはさぞ不愉快な声音だったろう。何しろ話す相手の年齢ときたら、彼の息子と変わらない。
「冷凍睡眠という表現がお気に召さなかったようだ。もっとも分かりやすい表現かと考えたのですがね」
淡々とした声は、なるほど若さの分だけ力強い。
「もちろん、細胞を保存するためには体温を意図的に下げざるを得ない。しかし単に体温だけを下げても代謝が止まるわけではない。あなたのおっしゃる数世紀前の夢物語の欠陥はこの点でしょう。しかし我々には不老により近い状態を維持する技術がある」
声の力強さは揺るがず、相対する男はふたたび沈黙した。
しばらくして、コツ、と床を蹴る音がした。椅子を立ち、窓際へと向かう後姿は堂々としたものだ。灯りがなくとも物怖じしない。
「この街は美しい……」
ガラスの壁の際に立つと、体の後ろで手を組んで最初の声はつぶやいた。ゆっくりと肩越しに振り返り、背後の男たちに話しかける。
「働き蟻の話をご存じですか。来る冬を前に、来る日も来る日も餌を求めて働き続ける」
相槌を打つ者はいなかったが、最初の声はまるで気にしないようだった。
「一見、奴らはすべてが働いているように見える。しかし実際のところは、全体の八割が働いているに過ぎないのだそうです。残る二割は働くと見せかけて徘徊しているだけ」
抑揚の少ない声はどこか不気味な音声となって部屋を満たしていく。
男は作り物の星に照らされた街路を見下ろしていた。
「では、彼ら働き蟻を限られた空間に閉じ込め、労働力である八割の蟻をその空間から取り払ったらどうなると思います?」
「話が見えないようだが、ラング君」
回答者は苛立っているようだった。
男は声もなく笑った。その後で瞼を伏せ、軽く二度うなずく。彼らは答えに対していささか性急なようだ。
「結構。問いと答えを申し上げましょう。残された二割の蟻は果たして飢え死にするか否か? それが私の問いです。そして答えはノー」
今度は、苛立ちの声は上がらなかった。
「理由を申し上げましょう。残された二割のうち八割、つまり全体の一割六分が働き手に転化するのですよ。続けてその新たな八割を除去しても同じことが起こる。最後の一匹になるまで彼らは絶滅しない。一種の知恵でしょうよ――働かないということは一見種の存続に反するようでありながら、危険を遠ざけるという意味で超長期的には遺伝子を守る頑丈な盾となる。またあるいは」
男は一旦ことばを切り、続けた。
「レミングの集団自殺についても、ほぼ同じことが言えると私は考えます。ハーメルンの笛吹きの物語のモデルになったとも言われている現象です。奴らは時として大量発生し、そして集団で移動して海に飛び込む。集団自殺の原因は不明、だが一説には生態系を崩さないため――ひいてはレミング自身の遺伝子を守るためと言われています」
「君は人類と小動物を同列に扱うのかね、ラング君?」
「人体を構成しているものは何ですか?」
精一杯の皮肉のつもりで吐いたことばは、あっさりと切り返された。男は返答を避け、押し黙る。
その種の優越意識は、いまや無用の長物だ。最初の声は胸の奥でつぶやいた。
「話を戻しましょう。生き残ることのできるレミング、あるいは徘徊しているだけの二割の働き蟻――その地位に居座れるのは誰か? 労働力を確保し、指導者としての立場を堅持できるあなたがたとその子孫ではないのか?」
「そうだ、労働力だ――ク、クローンだ」
老いた声が、二度めの発言を試みた。
問いに対してはまるで的を得ない発言に、最初の声は沈黙した。それは一時のことで、ややあって彼は肩を震わせて笑う。
「連中は寿命が短い」
声には侮蔑の色があった。侮蔑は彼が「連中」と呼び捨てた相手と老いた声の両方に向いていた。
「その上、金もかかる。金と手間をかけて役に立つまで育てたところですぐに死ぬ」
かさ、と紙の擦れ合う音が聞こえた。窓際の男が手にしていた資料を持ち替えた音だった。
「放置すれば労働人口は減少する一方だ。受胎率は目に見えて低下しているし、あらゆる種のウイルスが猛威をふるっている」
男は唇を舐めた。
「環境は劣悪で、何の警戒もなしに暮らせる土地などいまやどこにもない。あなたがた政府に賛同しない者たちのことは放っておけばいい、奴らがどう滅びようとそれは奴ら自身の選んだ未来なのだから」
男は片足を引き、ゆっくりと向き直った。音は立てない。
「だがあなたがたに賛同する者はあなたがたの労働人口としての生、長く確実な未来の確約を得られる。あなたがたの決断によってね」
薄暗闇の中では、互いの表情はまるで見えない。いまや男の声は魔力を持ち、部屋中の空気を支配するに至っていた。
「私の申し上げた方法がたとえ失敗したとしても死ぬのは労働人口。放っておけばどのみち死滅する連中です。ならばせいぜい、できうる限りの努力を払う姿だけ見せて彼らを守り、最終的には見殺しにしたところであなたがたの生は痛みますまい? もちろん彼らが生き延びてくれるに越したことはない――あなたがたの未来のために、あなたがたの幸福な奴隷としてね。そもそも八十五年前、あなたがたがあの大戦を――失敬!」
長々とした弁舌の後、勢いよく男は声を切った。そして続けた。
「そもそも八十五年前、あなたがたの先祖があの大戦を演出したのはそのための布石だったのでは、元帥閣下?」
一語一語を玩味するような男の口ぶりは、実に愉快そうな響きを伴っていた。
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