地球標準暦108年…

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「すでにお気づきかもしれませんが……」
 ややあって本題に入った時、ドーソンの目の前のコーヒーカップはすでに空になっていた。ユウリはおとなしくソファに腰かけ、口を閉じている。
 話の続きをうながすようにイリーナがうなずくと、ドーソンは大きく息を吸い、そして吐き出した。
「ご主人の身の上に事故が発生しました。確認日時は十月二十八日午前三時四十三分――十月二十日、午前〇時の覚醒予定でした」
 ドーソンは手もとの書類に目を落としながら、淡々と時刻を読み上げる。
「では主人は、その――覚醒、できなかったと?」
 単語をひとつずつ区切るような発音で、イリーナは問いを発した。ドーソンは無言で首肯し、鎮痛な面持ちをイリーナに向けた。イリーナは右手で額を抑え、ゆるく首を振る。
 ユウリはきょとんとして母親のしぐさを見つめていた。
「事故ってなあに、ドーソンさん? 覚醒って、わたし聞いたことあるよ」
 うつむいたきり、イリーナが何も言わないので、ユウリはイリーナの問いを代弁するようなつもりで口を開いた。客人の、合わせてよっつの瞳がユウリを見る。視線は、一様に暗い陰りを帯びていた。
「冷凍睡眠法というのを聞いたことがあるね、ユウリ? ラング法と言い換えてもいい。地球標準暦六八年に可決された法律で、正式名称を――」
「知ってるよ、学校で習ったもの。ええと、悪化する地球環境の改善と……」
 ユウリは口を閉じ、続きを思い出して再び口を開こうとしたが、アルバートが資料を取り出す方が早かった。
「この法律の正式名称はとても長くてね。「悪化する地球環境の改善と自浄作用の回復を目的とした都市コロニーの建造ならびに建造期間中における住民の身体保護に関する法律」という」
 アルバートから受け取った資料をもとに、ドーソンがすらすらと読み上げたので、ユウリは押し黙って小さくうなずく。
 ドーソンはユウリの反応をうかがいながら、ことばを続けた。
「世界大戦は、もちろん知っているね。今から百年以上前、地球の全土を舞台に繰り広げられたとても大きな戦争だ。戦争が始まってから産まれた子どもが大きくなり、武器を持って戦うようになって、それでも戦争は続いていた。開戦から二十四年後、今の地球政府の礎になった有志の集いが各勢力を説き伏せ、和解が成立した」
 ドーソンの話は、通信システムを通じて学んでいるものとほとんど同じだ。改めて聞くまでもなく、言われることをユウリは理解していたが、口を挟もうとはしなかった。
続きを予想することは簡単だ。きっとこの次は、人口の話。
 ユウリの予想はぴたりと当たった。
「ところが戦争の前も後も、世界の人口は減る一方。恐ろしい病気がはびこり、生まれる赤ちゃんの数も少ない。その上に戦争による被害、大気や土壌、水の汚染だ。ユウリ、かつてこの世界の人口がどれくらいだったのかを聞いたことがあるかい」
「あるよ。あるけど……」
 突然の質問に、ユウリは口ごもった。それは答えを知らないためではなくて、答えに懐疑的なためだ。
ややあって、にわかには信じがたい数字をユウリは口にした。
「教授から教えてもらった話では、こう。登録されていた世界人口は最大で一二〇億、未登録分を合わせると、きっと一五〇億に上ったに違いないって。でも」
 ことばの続きを促すように、うん、とドーソンはうなずく。
 ユウリは唇を尖らせた。
「でも、だって、それって今の人口の一〇〇倍以上ってことでしょう。政府の人たちも反政府組織の人たちも皆合わせて、その一〇〇倍」
 ドーソンはもう一度うなずいた。そして口を開いた。
「教授はきっと、こうも言ったろう? その当時から見たら「たった」一億ちょっとの人類に住処のない現状から考えて、今の一〇〇倍もの人間がいたはずなどない、この記録は実に疑わしい、と」
 通信モニタ越しの教授の表情を思い出しながら、ユウリはゆっくりとうなずいた。わたしは教授に賛成だ、とその顔には書かれている。
 ドーソンはやんわりと、ユウリの主張を否定した。
「だがね、ユウリ、それは事実なんだよ。彼らから住処を奪い、彼らを急激な減少に導いたのは、数々の致命的な病と環境汚染だ、それに戦争。戦争が終わっても被害は拡大する一方だった。政府は人類の未来を守るために、悪化する地球環境の――いや、冷凍睡眠法を可決して、人類と地球の共生を考えた都市の建造に向けて動き出した。計画は八四年から実行に移され、そして君のパパが発見してしまった。「共通する夢」を」
 ことばを切ると、ドーソンは深くため息をついた。
「信じるか信じないかはともかく、これが我々の歴史だよ、ユウリ。そしてここから先とアンドレの事故は、我々政府のトップシークレットだ」
 ドーソンはまた、上目づかいにユウリを見やった。
 唾を飲み込んでユウリは居住まいを正した。ドーソンの声と表情には、不信も反論も許さない色がにじんでいる。うつむいたまま隣で沈黙している母のことを気にする余裕さえユウリには与えられていないようだった。
 賢い子どもならではの反応を確かめながら、ドーソンは話を続けた。

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