地球標準暦108年…
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ユーラシア大陸北東部に位置するドーム型小都市ハバロフは、世界に点在する地球政府直轄地のひとつである。
直轄地の住人のほとんどは政府関係者で、人や物の出入りは厳重に監視されていた。言わばこれらの小都市は、政府関係者らに対して政府が与えた職場兼住宅であり、住人は周辺の集落に家族を残してドームの中で生活している。治安上の懸念は街のどこを探しても見当たらず、人々は政府の仕事に忙殺されながらも、いたって平和な日々を過ごしていた。
コンパートメント型の住居が並ぶ住居区はしんと静まり、ドーム型の天井には人工の星がささやかな光源として添えられている。ドームの周辺では砂嵐が猛威をふるっているとの情報があるが、ドームの外の出来事について敏感な者は実に少なかった。
十月の終わりの一夜、表面を見る限りは常と何ら変わりないハバロフの中、人工の道の上を足早に行くふたつの人影がある。片方は壮年の男、他方は細身の少年で、どちらの顔にも色濃い緊張があった。
「それは結局、議会が覚醒を断念したということですか、ボウ。小父さんに関してだけはそんなことはありえないと僕は思っていたのに」
男の後方を歩く少年が、歩調と同じくらい早い口調で質問を投げかける。
前方を行くボウと呼ばれた男はさっと首を振り、口を開いた。
「事故がありえないと思っていたのかね、ダグラス? それとも議会がアンドレを切り離すことなどないと思っていたのか?」
ダグラスと呼ばれた少年は返事に窮し、唇を舐める。だが会話をやめようとはしなかった。
「両方です、その両方。小父さんに関してだけは……それに」
焦燥がそうさせたのか、つい先ほどのことばを繰り返しかけて、ダグラスは途中でせりふの向きを変える。
「それにボウ、小父さんの覚醒に合わせてユウリを迎え入れる予定になっていたことをご存じでは? 九月半ばからの約束だと聞いています。小父さんも楽しみにしていたはずで」
「もちろん知っているさ! 今日がその、奴がユウリに迎えをやる約束の日だということもな」
ボウはきっぱりと答え、ダグラスは押し黙った。目的の建物が眼前に迫っていたので、ふたりは会話を一旦打ち切り、歩調をゆるめた。目指していた建物は「センター」と通称される場所で、センターはこの都市に暮らすほとんどの者の勤務地でもある。
センターの入り口では、いつものように身分証明と眼紋のチェック、それに身体検査を受けなければならなかった。気が急いている時には、手馴れた検査官の動作さえ不快に映る。
「弟が先に来ているはずですが」
受付をすませると、ダグラスは係官に早口に尋ねた。そして係官がうなずくが早いか、ダグラスはさっと体の向きを変えて歩き出す。
「ドドナの西にいますよ」
遠ざかっていく少年の背に係官は声をかけた。返事はなく、その代わりのようにダグラスは通路を蹴って駆け出す。
少年の後ろ姿を見ながら係官は肩をすくめた。ダグラスとともにセンターに入ったボウは別の係官と一言二言の会話を交わしていたが、ダグラスが駆け出したことに気づくとあわてて後を追う。
ふたりが向かった先はセンター奥の一角で、ところどころに設置された案内板には「第十一都市」という表記があった。
「リイ!」
センター内の通路の何箇所かでコンピュータによるチェックを受け、目的の場所にたどり着くが早いか、視界に収めた人物の名をダグラスは呼ぶ。
名を呼ばれた少年は振り返り、軽く口笛を吹いた。
「待ちくたびれたよ。ダグラスが来なきゃダメだって言うんだ、面会」
目の前の大きなガラス壁に貼りつけていた両手をはがし、少年は手を広げてみせる。おどけたしぐさを一瞥して、ダグラスはちらりとガラス壁の向こうを見下ろした。
薄暗く広大な室内には、無数のカプセルがところ狭しと並んでいる。カプセルの層は幾重にも重なっていて、外から見下ろしただけではその数を把握することは不可能だった。
兄にまるで相手にされなかったことに顔をしかめ、ちぇっとつぶやいてリイは体の向きを変える。少し遅れてやってきたボウがダグラスを促し、三人はそろってその場を離れた。
静まった通路を並んで歩いているようすは、まるで父親とふたりの息子のようだ。政府関係者であった父母を不慮の事故で失ったダグラス・リウィウスは二年前から弟とともにこの街に移り住み、政府高官となることを目指していた。ダグラスが「小父さん」と気安く呼ぶ人物は名をアンドレ・フォルズと言い、生前のリウィウス夫妻に世話になったという理由で兄弟の面倒をみていてくれた男だ。ボウはそのようすを少し離れたところから見守り、時には助言者となってくれた人物であった。
「面会を。ゲイツ中佐の許可証がある」
ガラス壁の側を足早に通り過ぎ、角を曲がった先の部屋をノックして、扉越しにボウが声をかける。ほどなく扉が開き、三人はボウを先頭に部屋へと入った。
扉を開けた人物はボウが取り出した許可証を一瞥しただけで、ものも言わずに操作卓を叩く。疲労が顔ににじんでいた。
「入っていただいてかまいませんよ」
二分と経たないうちに声がかかり、次の部屋との境の扉が壁の中に吸い込まれる。
ボウとダグラスは顔を見合わせ、ともに軽く息を吐いて足を踏み出した。ふたりに少し遅れて、リイは小走りに部屋を移る。
隣り合った部屋の壁の腰より高い部分はガラス張りになっていて、そのこちら側では三人の技師が操作卓に向かっていた。顔を上げたひとりひとりにダグラスは会釈し、ガラス壁の側まで歩み寄る。
壁の向こう、部屋の中央部分にはおとなひとりがすっぽりと収まってなお余りある大きさのカプセルが置かれていた。蓋は開かれたままで、中に横たわった人物の風貌をはっきりと見てとることができる。
「痩せたような気がするな。錯覚かな……」
それを見て最初に口を開いたのはボウだった。両眼を細め、つぶやいたきり唇を固く結ぶ。
ダグラスは瞼を伏せ、分からない、と答える代わりに首を振った。その隣ではリイがガラス壁にへばりつくようにしてカプセルを凝視している。
カプセルの中の男は細身で、胸の上で指を組んでいた。頭部をはじめ、体全体に電極が張りつけられており、そのそれぞれから数本のコードが伸びている。癖のない髪は白髪で、瞼を閉じているおかげでひどく色白に見えた。体温が極限まで下げられているため、唇の色は蒼白だ。
「死んでるみたいだ。おれ、睡眠してる人って初めて見るよ」
ややあって、リイは隣に立つ兄を見上げた。返事はなく、リイはすぐに視線を戻す。今度は拗ねたような表情は浮かべない。機嫌を損ねたわけではないようだった。
「ユウリをどうしますか、ボウ?」
段のあるガラス壁の下方に両手をつき、静かな口調でダグラスは問う。回答者の逡巡は肌で感じられた。返事を催促するつもりはない。
「迎えには、やろうと思っているよ……」
しばらくの間を置いた後、喉の奥からしぼり出すようにしてボウは答えた。顎に手をやり、髭の剃り跡を神経質になでている。
「それにどのみち、報告が必要だ。……会いたがらないはずもない……」
せりふの途中でボウは軽く首を振り、ため息を吐いた。リウィウス兄弟は沈黙したまま、カプセルの中の男をじっと見つめている。
やがて男の風貌の上に、幼い少女の屈託のない笑顔がよみがえった。錯覚に眉をひそめ、ダグラスはゆるく首を振る。
脳の奥に侵入した幻はそれしきのことでは出て行きそうもなかった。耳の奥に笑い声のこだまが響く。
ダグラスは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
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