地球標準暦108年…

page1

 窓の外には、砂が舞っていた。
 砂嵐は視界を塞ぎ、あらゆるものの通行を阻む。二時間前から、住居区には外出禁止令が出ていた。
「ユウリ――ユウリ? 食事にしましょう」
 背後から、母の呼び声が聞こえる。
 ユウリと呼ばれた子どもは声の方向をちらりと振り返った後、窓の外に視線を戻した。小さな体を出窓の縁に乗せ、二重になった窓の内側にユウリは掌を押し付けている。見通しの悪い街路の向こうに何かを探しているようだった。
「ユウリ! いくら待っても、今日は迎えになんてみえませんよ。こんなお天気じゃ」
 最初よりいささか鋭い声が呼ぶ。
 ユウリは肩越しに振り返り、唇を尖らせてから床に飛び降りた。そうしながら、母親に口ごたえをすることも忘れない。
「来るもん! パパと約束したんだもん。十月の終わりには迎えに来るって約束したんだもん!」
「約束約束って、ママとの約束はどうなの。いい子にしてるって言ったでしょ? 食事にするわよ!」
 とうとう母親は、キッチンから顔をのぞかせて早口に言った。すぐに引っ込んだ顔に向かって舌を突き出し、ユウリは小走りに床を駆ける。
 パパは絶対に約束を破ったりなんてしないんだから。
 そういうつぶやきは、胸の中だけにとどめることにした。そんなことを口にすれば、またいつものように母親をヒステリックにさせるだけだ。近所のおとなも子どもも皆、ユウリの父親には一目置いているのに、彼女だけはそうではなかった。もちろんユウリにとっては違う。政府の特別施設で働く自慢の父親だ。
「いいこと? あなたはあの街へ行ってしまうんだからそれですむけれど」
 食卓につくと、いつものお説教が始まった。母親が食卓に背を向けているのをいいことに、スープ皿の中のピーマンをいくつか、持参した袋の中に放り込む。好き嫌いを言って残すと、母親の言う「あの街」、父親が勤務する都市ハバロフに遊びに行くことができなくなる。
「ここに残るママの身にもなってちょうだい。夢の修繕だなんて危険な仕事――ええ、誰にだってできる仕事だなんて言いませんとも。言いませんけどね、ユウリ?」
 母親が向き直る。口調はさっきより落ち着いている。ユウリはさっと袋を背中側に隠した。どうやら気づかれずにすんだようだ。
 母親はユウリに向かい合った席に腰を下ろした。
「ママね、あなたにはもっと、安全な普通のお仕事についてほしいのよ。いい、あなたは世界の人になる必要なんてないの。あなたの成績なら、誰だって喜んであなたに仕事をくれるわ。お勉強はほどほどにして、今からきちんとお仕事を探しておくの。政府の仕事になんて興味を持たなくていいのよ、ねえ?」
「うんママ、分かってるよ」
 子ども用のフォークでスープをかき混ぜながらユウリは応えた。なるべくゆっくり食べて、母親が立った後に席を立つようにしなければ。
「その場しのぎのことを言わないで! だったら、学校を休んでまでパパに会いに行かなくていいのよ。あなたがあの街で暮らしたがってるって最近じゃもっぱらの噂なんだから」
 ユウリは肩をすくめた。母親は固いパンをちぎり、勢いよく口の中に放り込んでいる。
「ママ、今日学校がお休みなのは砂嵐のせいだよ。それに通信回線のメンテナンスが終わらないから宿題が提出できないんだ。ほんとだよ、もう全部、すませてあるんだから――」
 母親の強い視線に口ごもり、ユウリは唇を尖らせた。
「今日はもともとお休みする予定だったでしょう。砂嵐が来なくても」
「それは、そうだけど」
 口の中で、もごもごとユウリは応える。余計なことを言うんじゃなかった、と思った。
 ユウリの通う学校は、住居区の中央、ユウリの足で徒歩十五分ほどの場所にある。授業のほとんどは各家庭にある双方向通信システムを利用して行われているが、子ども同士が接する機会を作り、共同生活を訓練し、また情操を育む場としての「学校」には最低でも週に四日は通うことになっていた。
 ドーム型小都市ハバロフの周囲にはななつの住居区が点在している。中でもユウリの暮らす地区には政府関係者の家族が多かった。当然、学校に集まる子どもの多くは政府に対して何らかの興味を抱いている。ユウリの母親はそれを承知しているはずなのに、ことあるごとに政府の仕事に興味を持つなとユウリに言った。まったく無茶苦茶な言いようだ、とユウリは思う。
 その話題に触れるたび、母親はいつも「世界の人」という表現を使った。政府関係者の中でも特殊な仕事についている夫、つまりユウリの父親はその代表例だと彼女は言う。世界の人とはすなわち、家庭の一員であることを捨て、世界と人類のために我が身を差し出す者を指すらしかった。要するに寂しさの裏返しだと、小生意気なことをユウリはたびたび考える。
 その母親は、尻すぼまりに終わったユウリの話の続きになど興味は持たなかったらしく、さっさと食事を終えて席を立った。ユウリはぬるくなったスープの中身をのんびりとつついている。
「自分で片付けるから、ママ」
 炊事場に向かった母親の背に、ユウリはおずおずと声をかけた。
「そうしてちょうだい」
 何の疑問も持たず、いつものように母親は応えた。食器の汚れを軽く水で流した後、食器洗浄器に並べてスイッチを押す。洗浄水が容器の内側を駆け回り始めた。
 キッチンを出、おそらくは寝室へ向かうのであろう母親の姿をユウリは横目で眺める。キッチンに自分ひとりになってしばらくしてから、ユウリはさっと席を立って隠してあった袋の中身を資源分類器の中に放り込んだ。スイッチを入れない代わりに、機器の口もとの汚れを濡らした雑巾で軽くふき取っておく。母親は毎晩、残飯を分解する習慣になっていたから、こうしておけばまず見つからないはずだ。小さな企みごとの成果を確信して、うん、とユウリはうなずいた。
 次いで踏み台を用意し、ユウリは食器を洗いにかかる。目の前の窓を風が叩いていった。その風の後ろ姿を追うように視線を上げ、ユウリは小さくため息をつく。ちゃんといい子にしてるけど、ピーマンを捨てたりするからなかなか迎えに来てもらえないのかな。これくらいの砂嵐なら政府の人たちには何でもないような気がするのだけれど、何か都合の悪いことでもあるのかしら。
 そんなことを考えた後、ユウリはぷうっと頬を膨らませ、そして尖らせた唇から息を吐いた。まったく、おとなの考えることは分からない。
 母親が聞いたら、顔をしかめて「あなたの方が分からないわ」と言いそうな心中のつぶやきだった。

Copyright(C)2004−2005 こんぐ