PIETA 第一章

page10

 獣道と呼ぶにふさわしい森の中の小道を引き返し始めてしばらくの間、クロフォードとブライアンはともに無言だった。足どりは早く、先を行くクロフォードは思案顔だ。
 クロフォードが教会跡から離れた時、そうした方がいいような気がして彼を追ったものの、意図するところを聞かされていたわけではなかったブライアンはいまだに釈然としない表情をしていた。クロフォードの背中と一定の距離を保ちながら、時々は後ろを振り返り、イリーナと名乗った少女の一団の野営地に声が届かぬほどの距離を確保してから口を開く。
「結局、完全に見失っちまったな。で――間違いはないのか、さっきの」
 尻切れな問いの方向を、クロフォードは見失いはしなかったようだった。少しだけ間を置いて、努めて冷静に応じる。
「見間違いだよ、たぶん。何せ」
 ことばを途中で切って、クロフォードはひとつため息をついた。
「さる筋から、情報はあったんだ。あの内戦の最中、ルザリア聖近衛騎士団を辞して異端者と行動をともにしていた、と」
 己の身長の二倍ほど離れた後方で、ブライアンが息を呑んだような気がする。クロフォードは口を閉ざした。
「おい、それって……じゃあ、まさか」
 胸の内が伝わったのだろう。ブライアンのせりふの中に独立した単語がひとつとして含まれていないことが、ブライアンの動揺の激しさを物語るようだ。
「そんなことがあるはずはないんだ!」
 語調を強めてクロフォードは言い切った。
「護衛隊の隊長を務めていたほどの人だぞ? あの方が王妃や国王陛下を傷つけるなど絶対にありえないッ……」
 唇を噛み、前方を遮った草を苛立たしげに踏みつける。言いながら、信じがたい想像に顔が歪むのを自覚していた。その後姿にまで漂う己への嫌悪感にブライアンは気圧される。
 ――だが、異端者と行動をともにしていたんだろう?
 否、こんなことは言わない方がいい、とブライアンは唾といっしょにことばを飲み込んだ。この程度の懸念ならクロフォード自身がとうに抱いているはずで、だからこそクロフォードは噛み合わない情報に冷静さを欠いている。ブライアンは唇を舐め、この話題には返事をしないことにした。慎重にいこう。
「……バダム小隊長殿にどやされそうだな。そうとうおもしろくなさそうだった」
 話題を変えたため息混じりの声にクロフォードはぴくりと耳を動かした。返事をするまでには多少の間があったが、ブライアンは気に止めないことにする。
「すまん。……言い訳はしてきたか?」
「一応な。だが期待はするな」
 無責任に応え、ブライアンは頭の後ろに指を組んだ。クロフォードからは返事がない。
 同い年のこの同僚が、有能故に「バダム小隊長殿」から煙たがられているということをブライアンは承知していた。クロフォードは顔立ちが柔和で細身なので、その実力を知らない者には戦闘には役に立たないと軽視されがちだが、ブライアンの知る限りではなかなかの剣技の持ち主である。英雄王ディリータ・ハイラル直属の近衛騎士団に編入される前は南天騎士団の一部隊に所属していたらしい。だが最初から南天騎士団に配属されたというわけではなく、騎士になったばかりの頃はルザリア聖近衛騎士団に所属していたというのだから、おそらくは輝かしい戦歴の持ち主でもあるのだろう。気さくな男で、自ら経験を語るようなことは滅多になかったが、所属した騎士団がいずれも名の知れた部隊であることから、ブライアンはそのように確信している。
 それに引き換えおれなんざ、中の中程度の存在さ。家柄も容姿も剣技も人脈も十人並、今や羨望の的と言っていい新王直属の部隊によくぞ引き抜いてもらえたものだと思う。強いて言えば、そうだな、おれは人より少しばかり運が強いかなぁ、とブライアンは声には出さずつぶやいた。新王に近しい特定の人物から推薦を受けて近衛騎士団に加入したようなクロフォードとは、残念ながら同位には立てまい。
 話題転換に効果があったのかどうかは分からないが、ブライアンは何事もなかったような顔で次なる話題を打ち出すことにした。
「そう言えばおまえ、よく知っていたな。何て言ったっけ、公爵家に特有の印、だったかな。で、どこにあるんだ、それは」
 歩調を速めて話しかけると、クロフォードの足どりはほんの一時遅れたようだった。己の問うた内容に時の流れを遅くするような要素がひそんでいたのかとブライアンは表情を動かすが、クロフォードの足はすぐに調子を取り戻す。
「陰部の側さ、性別によって位置は違うらしいけど。成人の証だそうだよ」
 何でもないことのように、さらりとクロフォードは答えた。思わぬ答えに目をむいたブライアンを振り返りもせず、そのまま声を続ける。
「オルド公爵家と言えば、マルヴェリに根づいた猛る者の家系として知られてもいる。マルヴェリ自体、王家に対して決して従順な土地柄じゃない――オルド公爵家の印は、王家にではなく我が家に忠誠を誓うことの証明とも言われている」
 絶句したブライアンは、眉間に皺を寄せては戻し、珍妙な笑みを浮かべては戻し、表情をころころと切り替えて瞬いた後、ようやく口を開いた。
「そりゃ、おいそれと人には見せられないはずだ。で、何でおまえそんなこと知ってんの」
 気安く尋ねたが、今度は返事がない。
 口笛を鳴らすように唇を尖らせたものの、返答がないことに対して不機嫌な顔を作りはせず、ブライアンはがりがりと頭をかいた。
「……オーラン様のところに行くのかな……」
 しばらくすると、クロフォードはぼそりと独り言のように言う。
「オルド公爵家と個人的に交友があるということは以前にうかがったことがあるんだ。旗印を揚げもせず、こんな時期に――そう言えば、人目を忍ぶ旅程だと言っていたな……」
 そこまで言ってクロフォードが沈黙したので、口をもごもごと動かし、ブライアンは応えることばを探した。だがクロフォードとは違って、ブライアンは海を隔てた軍事大国ロマンダの一領地マルヴェリや、またその土地の統治者であるオルド公爵について名前を知っている程度だ。クロフォードのつぶやきに応えられるはずなどない。
「しかし……しかし、何の目的で? ハイラル王に謁見を賜るためか?」
 軽口を引っ込めると、ブライアンは問いを投げかけた。返事は期待していない。案の定、クロフォードは沈黙したきりだった。
 やれやれ、これは困ったな、とブライアンは声には出さずつぶやいた。クロフォードの知人に似ていたという逃亡者、その知人がかつて異端者と行動をともにしていたという情報か。あんな人気のない場所に迷い込む者がいるとは考えにくかったから、木立に見え隠れした金髪の人影は刺客に違いないとブライアンは考えていたのだが、これは思わぬ背景に行き当たったものだ。おまけにクロフォードは、一団のもとを離れた後になって聞こえの悪い話を口にした。そんなはずはないとクロフォード自身が否定してはいるが、知人であるという女騎士こそが刺客である可能性は高い。その女騎士の知己ではないブライアンにとって、そう結論づけることは実に容易だった。彼女がアトカーシャ王家に忠誠を誓っていた身であったとすればハイラル王を逆恨みする可能性は十分にあろうし、まして彼女が教会に背いた身であるとするのなら、同様に王妃を裏切ったとしてもおかしくはない。三年という期間は、人を変えるためには十分な時間だ。
 一抹の不安が胸中をよぎっていった。はっきりとした理由こそないが、正体の知れぬ黒い影はブライアンの内部に確かに息づいている。この種の悪い予感というものは得てして的中するものだ。勇猛な騎士としても名を知られた若き国王と王妃の襲撃、逃げていった人影、異端者であったかもしれぬ女騎士の存在。こんな時に森の中に野営地を定めた隣国の少女と配下の騎士たち、その知己であるという男――新生近衛騎士団参謀閣下と少女が呼んだ男、そしてバダム小隊長殿。最後のひとつはクロフォードに押し付けるとして――だめだ、何かが釈然としない。これ以上、何事も起こらねばいいのだが――そうだ、逃亡者はいったいどこへ消えた?
 考えすぎだ、とブライアンは思考を止めて唇を舐めた。仮定を重ねることはたやすいが、そうするほど無用の騒動を引き起こす。おれたちは逃亡者を見失っただけだ、あの一団は無関係だし、ましてこの件にオーラン・デュライがかかわっているはずなどない。
 己に言い聞かせた後、こんな疑疑を抱くくらいなら強引にでもあの一団の天幕の中を改めておくのだった、とブライアンは苦い後悔を噛みしめた。そうしておけば少なくともおれはオーラン・デュライを疑わずにすんだ。証拠があるわけでもない空想から生まれた疑念に終止符を打とうと、ブライアンはため息をついて空を仰ぐ。
木々の合間に見える空は少しずつ色を変え、夕闇が迫りつつあることを地上の者たちに知らしめていた。

Copyright(C)2004−2005 こんぐ