座布団のある家

こんぐ / この作品は「ざぶそろ」参加作品です。

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 ゆるゆると一年が過ぎ、十五歳の誕生日を迎える頃、わたしは父が再婚するという話を聞いた。
 その頃わたしは、祖母の家からなんとか通える範囲の高校をターゲットに受験勉強に専念していた。
 通えると言っても、バスで片道一時間はかかる高校だ。それでも一番近いのだから、しかたがないのだけれども。
 その高校はわたしの成績では少しレベルが高いからと、担任は寮のある高校を探してくれたけれど、わたしは祖母の家を離れる気にはなれなかった。ずっとこの家にいるわけにはいかないとしても、座布団に座った祖母にお茶を出し、その斜め後ろで座布団にもたれてゲームで遊んでいるあの時間がわたしは好きだったから。
 母の死が自殺によるものだったと聞いたあの時から、縁側の祖母にお茶を出すのはわたしの仕事になった。受験勉強を始めた後も、お茶を出した時には息抜きと称してわたしは座布団にもたれてゲームで遊んでいた。
 祖母が使う座布団はだいたいいつも一番上にあったから、他のものに比べて少しだけ薄く硬くなっていた。気のせいかもしれないけれど、他のものに比べてなんとなく色あせていたようにも思う。
 やがて春が来て、合格発表の一覧にわたしが自分の番号を見つけたその数日後、なんの予告もなしに祖母は倒れた。わたしの高校受験について、わたし以上にやきもきしていたように見えた祖母だったから、ふっと気が抜けたのだろうか。
 進学準備のために買い物に出ていたわたしは、近所の人から携帯電話に連絡を受けてあわてて家に戻った。緊急の連絡先として電話のそばに番号を控えてあったから、とその人は説明してくれたけれど、そんなことはどうでもよかった。
 聞いた話では、祖母は縁側にうつぶせるようにして倒れ、そのまま息を引き取っていたのだそうだ。いつもは郵便受けに突っ込むだけの配布物を持ってきた近所の人が、祖母を見つけてくれたとか。
 母の時もそうだったように、わたしは祖母を見取ることもできなかった。

 たった三年の中学生時代に二度も経験することになった身内の死について、自分が何を感じていたのかはわたしにはよく分からない。
 感情が麻痺していたのかもしれないし、そもそも、死ってそんなものなのかもしれない。わたしには、よく分からなかった。あるいは、心のどこかがおかしくなっていたのかもしれないけれど。
 母の時とは違って、祖母の葬儀には近所の人が大勢集まった。いつも山積みになっていた座布団の山が崩されて、大勢のお客さんのお尻に敷かれた。
 わたしが背中を預ける山はもうなくなったのだと、その時わたしはぼんやりと考えてはいたけれど、どうしてだろう、わたしは少しも悲しいとは思わなかった。

 大人たちの間でたぶんいろいろなことが話し合われ、最終決断だけがわたしに任せられた結果、わたしは春から父と一緒に暮らすことになった。
 母が亡くなったあの家はすでに引き払ったのだそうで、連れ子のある新しい奥さんと暮らすために父はローンを組んで家を新築したのだそうだ。
 そう言えばそんな話をずいぶん前に聞いていた気がすると思ったけれど、何を思っても結果が変わるわけじゃなかった。新しい家は四月からわたしが通うことになっている高校にはわりと近くて、通うのに不便はしなさそうだ。
 わたしの引っ越しには、それほどたいした手間はかからなかった。新しい家は二階建てで、二階の南側の洋室がわたしの部屋だと父は言った。
 新しい家の玄関を開けると、正面に階段がある。右手はリビングダイニングになっていて、システムキッチンは最新式なんだそうだ。
 玄関を上がった左手には和室があった。手前の部屋には仏壇がある。
 二階の洋室へと荷物を運ぶため、階段を上ったり下りたりしていたわたしは、開放されたふすまの向こうに見える和室がふと気になって足をとめた。左手に人影を認めてそちらを見やると、義母と目が合った。
 義母は父より何歳か若く、十一歳と五歳になる息子がいる。以前の勤務先を結婚退職した後に長男を授かったものの二年ほどで離婚して、その後は父が勤める会社にパートとして勤務していたのだそうだ。父と彼女がいつ頃、結婚を意識するような仲になったのかは知らない。
 ……この新しい家に初めて上がった時、リビングには一枚の写真が立ててあった。何気ないふりをして義母がそれを隠したから何も気づかなかったふりをしたけれど、その写真には今よりいくらか若い彼女とわたしの父、そして、小学校低学年くらいの男の子と階段の手すりにつかまって立った幼児が映っていた。
 ──時子さんね、ずっと悩んでたのをおまえは知ってるだろ。
 その写真のことを思う時、耳の奥には祖母の声がよみがえる。
 ──おまえしか拠りどころがなくてさ、それなのにあの馬鹿息子ときたら。
 ──あたしが言うことじゃないけど──どうか、陽一を許してやって。
 脳裏を流れる祖母の声を、わたしは軽く頭を振って打ち消した。
 分からない。なんのことだか、分からない。おばあちゃんが何を言いたかったのか、どうしてわたしに謝る必要があったのか。わたしには、分からない。決して分からない。
「お義母さん、お願いがあるんだけど」
 わたしと目が合ってすぐ、なんでもないようなふりをして視線をそらした義母に対して、なんでもないような口調でわたしは声をかける。
「わたし、ずっとおばあちゃんちで暮らしてたから、上の部屋って慣れなくて。仏壇の向こうのあの部屋がいいんだけど、だめかなあ」
 父と彼女はたぶんわたしに気を遣って南側の部屋をあてがったのだろう。突然の申し出に彼女は狼狽したようで、お父さんに聞いてみるから待っていて、というのが彼女の返事だった。
 父に聞こうが聞くまいが、ふたりの返事は分かっていた。
 ──最初から、そう言ってくれればよかったのに。
 帰宅した父はそう言っただけで、望みどおりわたしは一階の和室を手に入れた。
 荷物を運び終えるとわたしはふすまを閉め、押し入れを開いた。仏事のあった時に使うのだろう、頑丈なビニール袋に包まれた座布団の山が、押し入れの中に鎮座している。
 ビニールを引きずり出すと、中から座布団を取り出し、部屋の隅にわたしは積んだ。できた山に背中を預け、山の一番上から座布団を一枚とって、ぐっと両腕で包み込む。
 左の頬に当てた部分が最初は少しひやりとしたけれど、違和感はすぐになくなった。何故だか涙が込み上げて、座布団に顔を押しつける。
 縁側でお茶をすするように飲む、祖母の背中が好きだった。
 座布団に座っている姿なんて見たことのない、母のことが好きだった。
 母の子供時代を、少女時代をわたしは知らない。祖母の家に来たことはもちろんあっただろうけれど、祖母の家で座布団に座った母の姿は記憶にない。
 それでも、わたしは母が好きだった。
 だけど母を助けられなかったし、誰もその役割を負うことはできなかった。
 新しい家の新しい畳からはイグサの匂いがする。
 座布団は新しくて、薄かったり硬かったりするものは一枚もない。ここにはいっさいの記憶がない。
 だけど、ここにいっさいの記憶を持たないのは父だって同じだ。父も彼女も、そして義弟たちも、誰ひとりこの家に記憶を持つ人間はいない。
 だから、きっと大丈夫なんだ。きっとわたしはうまくやれる。
 ふすまと階段の向こうにあるリビングから、父と義弟の笑い声が聞こえてきた。

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