座布団のある家
こんぐ / この作品は
「ざぶそろ」
参加作品です。
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公共の交通手段と言えばバスが一本通っているだけの田舎にある父方の祖母の家は、わたしにとってはいわば第二の我が家だ。
喧嘩ばかりしている父母がいわゆる「家族の今後」のことを話し合うためにわたしを祖母の家に預けたのは、これで四度目のことだった。
祖母からそれとなく聞き出した話が正しければ、わたしが初めて祖母の家に預けられたのは五歳の時。次が九歳、その次が十一歳。そして今のわたしは十三歳だけれど、秋には十四歳になる。
幼稚園や小学校の都合で、預けられるのはいつも夏のことだった。五歳の頃のことはよく覚えていないし、二度目の時は気がつかなかったけれど、三度目にもなると、あっ、今年の夏はおばあちゃんちへ行くことになるな、ってことがなんとなく分かるようになっていた。
バリエーションこそ少ないけれど、祖母の手料理はあったかい。お天気のいい日には縁側に座布団を敷いてお茶を飲むのが祖母の習慣で、そんな時、わたしは続く和室に積まれた座布団の山にもたれてゲームボーイアドバンスで遊んでいた。
わたしが祖母の家に預けられている間、「家族の今後」なるものを父母がどうやって話し合っていたのかは知らない。わたしが知っているのは、夏休みが終わるちょっと前になると父がわたしを迎えに来て、その年の結果を祖母に報告していくこと。毎度悪いね、お母さん。なんとか、もう一度やり直してみようって話になったよ。
十一歳の夏、つまり二年前のことだけど、わたしは祖母と父の話を盗み聞きしていた。その時の光景は、断片的に覚えている。体裁が悪そうに座布団の上でもぞもぞしながら、父は祖母に言い訳をしていた。
──結局、あいつの生い立ちに原因があると俺は思うんだよ。最初の時に話したと思うけど、あいつは養女だったから。
──ほらよく言うだろう、虐待の連鎖って。親に虐待を受けて育った子供は、自分が親になった時に同じように暴力をふるうんだってさ。
それに対して、祖母がこう応えていたのを覚えている。
──だけど、陽一。そういう暴力は普通、子供がうんと小さい時から始まるって言うじゃあないか。あたしだって勉強したんだよ。メグミに痣があったのは前の時からで、最初の時は違ってた。
わたしが覚えている限り、母がわたしを叩くのは、ひどくお酒に酔った時のことだった。
お酒にはあまり強い方じゃないらしく、ビールを一缶も飲めば、母は顔が真っ赤になる。母はいつもいつもお酒を飲んでいるわけじゃなかったし、まして泥酔するほど飲むのは多くても年に一、二回のことだった。
普段の母はわたしには優しかったし、会社役員の父が顔をしかめるほどわたしに物を買い与えてくれた。だからわたしは母が好きで、時々は暴力をふるわれることがあっても、どこの家もそんなものなんだと思っていた。
ごめん、ごめんね恵。お母さん、どうかしてた。ちょっといろいろ、大変なことがあって。
我に返るとそう言って母はわたしに謝り、必要な時には医者へ連れてってもくれた。
誰だって機嫌が悪い時や、人に当たりたくなる時はある。そんなものだとわたしは思っていたし、そうでも思わなきゃ、自分への説明も納得もできなかった。
母とわたしの日常はそんなふうになんとか過ぎていったのだけれど、運悪く父がわたしの傷に気がつこうものなら、あっという間に家の中は大騒動になる。
正直な印象を言えば、普段の父は母とわたしのことに無関心だった。だから父がわたしの傷に気づくのは、衣替えがすんだ後の、それも目につくところに痣ができた時くらいのものだった。
──本人は嫌がるけど、カウンセリングを受けさせることにしたよ。暴力が慢性化してないだけマシだって言われたけど、はいそうですかって納得できるわけないだろ。
祖母に向かって父がそう言っていたのが、二年前の夏のことだ。
その後わたしは父に連れられて家に帰ったけれど、その後、母がカウンセリングを受けていたのかどうかは知らない。
考えてみたら、わたしは母のことなんてちっとも知っちゃいなかったのだ。「大変なことがあって」と母は言い訳をしたけれど、その「大変なこと」の中身も知らない。わたしが学校に行っている平日の昼間、専業主婦の母がどう一日を過ごしていたのかも知らない。
その二年後の今年、わたしはまた、祖母の家に預けられることになった。
わたしを預ける時、今度という今度はきちんと結論を下すから、と父が祖母に向かって宣言をしていったのが印象的だった。
そして父が下すつもりだったのだろう「結論」とはまったく違った結果がわたしたち家族を訪れて、この年の夏は終わった。
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