カシーガヤの火
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カシーガヤの待つ寝室の扉を開けると、最初に目に入ったのは彼女の灯した暖炉の温もりであった。荒々しくこじ開けられた扉は不機嫌な悲鳴を上げ、後方に従う小姓と王の間を仕切る。王は扉の閉まるを待たず、体の前に指を組むカシーガヤに歩み寄った。
「なぜおまえはここにいるのだ」
応えを求めぬ問いを投げかけながら、そこに待つのが老人でないことを若き王は安堵している。なぜなら老人の声は王に苛立ちを与えるばかりで、彼が温もりをくれたことはついぞなかった。彼の焚き火は彼を照らすためだけにあり、その熱は一度として王には届かなかったのである。
「見える目を閉じることを罪とは申しませんが、王」
常と変わらぬ穏やかな表情のまま、女が口を開く。ゆるりと組んだその指の向こうには薄絹の衣が透け、白磁の頬はすでに熱をなくして背後の髪の闇色を王に見せつけた。その髪をすくい上げるように王はカシーガヤの頬の側に手を伸ばし、確かに指に触れる糸の感触を思い出す。
「映るものを、感じるものを否定することは罪ですとも、若き王よ」
夢をみるようにとろりと濡れた目で女は若き王を見上げ、柔らかな唇を結んだ。
「王よ、若き王よ、アデノイアにも気色ばむ若者はおります。わたくしを裏切りの徒とする者もおりますとも」
熱を求めて若き王は身をかがめ、血の色を残すカシーガヤの唇を触れる。酒の匂いを残す舌を女は黙して受け入れたが、そうするうちにも女の肌は少しずつ色を失い、解ける体は急速に熱を忘れていった。
指先を濡らす柔らかな熱は若き王の身に火を宿らせる。内側から湧き出る熱に王は体の形を忘れ、溶けた肉欲は消えゆく女の形を執拗になぞる。王の若き肢体は熱の塊となって火の中を進み、火は王に、窓辺に止まって騒ぎ立てるハヤ鳥の声を伝えた。
ホウ、ホウ、ホウ。髪を肌を焼く炎を運ぶ風は、あの忌々しい合唱で王を夢を女の奥へと進ませる。
「雪解けの前に布陣は終わっておりますぞ、若き王よ」
額に皺を寄せて説明をよこす勇将のささやく声は、火の中にもはっきりと聞こえた。
「餌を求めるハヤ鳥どもが民に被害をもたらす前に奴らを追い出さねばなりません。もっとも士気の上がっている今が良い機会かと――」
「黙れ」
窓際のハヤ鳥を追い払うように両腕を振り、若き王は幻を振り払う。
「黙れ」
繰り返して火の中に体を揺らし、立ち上がると目の前には闇が開けた。
遠くの方で焚き火が揺れている。その向こうにいつものように鎮座した老人をねめつけ、若き王は足早に闇を進み、老人を視界に入れぬように火の側を過ぎようとした。
「ホウ、ホウ、火よりも剣をとるか、若者」
老人のざらつく声が、柄を握る若き王の歩みを凍らせる。禁忌を破って王は老人を見下ろしたが、老人は姿勢を変えず、従って王と老人の視線が絡み合うことはなかった。
老人を一瞥し、すぐに興味をなくした若き王は歩みを再開せんと大腿部に命令を送る。命ずる声が大気を割って届くのとほとんど同時に、老人の喉が震えた。
「せめて火を消してゆけ、若者」
皺に埋もれて表情の読めぬ老人の声は言いようのない嫌悪を王に運び、王は苛立たしげに抜き身の剣を振るう。老人の前に生まれた風は焚き火を割り、火は大気に散って四方から迫る闇に溶けた。
ホウ、ホウ、ホウ。姿の見えなくなったハヤ鳥の声が、方々から王を追い立てる。鎮座する老人の隣を今度こそ通り過ぎ、若き王は剣を掲げて闇を抜けた。
女の姿の消えた寝室にたどり着いた王は眠りの深さに夢を忘れ、その次の朝も騒がしいハヤ鳥の声で意識を取り戻す。
開戦の前の長い夜を終わって瞼を開けると、薪の尽きた暖炉にすでに火の影はなく、窓に止まるハヤ鳥の声は鬨の声となって若き王の耳を浸した。
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