骸の行く先
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翌朝、眠そうに瞼をこする少女を尻目に、ギュスタヴはないに等しい持ち物を身につけ、身ひとつと言って過言ではない状態で廃屋を後にすることにした。これからは野宿を余儀なくされることも多かろうが、贅沢は言えない。何とか食いつなぐことができれば十分だ。余計な荷物だからと別の場所に隠してある使い慣れた獲物も、今後は持ち歩くことになる。
「おっさんが行くのなら、おれも行く」
唇を尖らせて少女は言い、軽い音を立てていすから飛び降りた。小手をはめた手を握っては開き、馴染み具合を確かめながら、ギュスタヴは少女を振り返る。
子連れで職探しなどしようものなら、相手にされないことは分かりきっていた。どうせこのガキは放っておいてもついてくるだろうとは思っていたが、はっきりと口に出してついてくると言われたとなれば、職探しには邪魔だと応えざるを得ない。それはついてくるなという意味ではないが、さて、どう言って聞かせたものか……。
「……おれ、町に用事があるだけだよ。おっさんの邪魔はしない」
適当な返答を探すギュスタヴの心中を読んだかのように、少女は上目づかいに言った。
勘の鋭いガキだ。ギュスタヴは少女から視線をそらし、唇を舐めた。
「好きにしろ」
ぶっきらぼうに言い捨て、扉に向き直るその視界の端で、少女の顔がぱっと輝いたのを見てギュスタヴは苦笑した。
廃屋を出たギュスタヴが最初に向かったのは職業斡旋所でも酒場でもなく、人通りの少ない廃材置き場だった。不思議そうにギュスタヴの行動を見守る少女の視線を気にも止めず、ギュスタヴは廃材をどかし、時には蹴飛ばして、奥から一振りの剣を取り出した。
それは少女の身長をゆうに越す大振りの剣だった。振り向いたギュスタヴと目が合うと、ぽかんと口を開けていた少女は口笛を鳴らす。
「すげェ、それ、おっさんのか」
スラムで育ったこどもに剣の価値など分かろうはずもないが、それは職もない一介の剣士には不釣り合いな高価な剣だった。こうした獲物を身につけていればいやがうえにも目立つ。それを避けるためにこれまではこの場所に隠していたが、今後は職探しのためにも役に立つだろう。
少女とギュスタヴはその場で一度別れることになった。待ち合わせの場所は特に決めない。それは互いにこの一帯を活動の拠点とするという暗黙の了解を持っていたからだ。
職探しに邪魔になりさえしなければこのまま連れていてもかまわないが、悪目立ちするだけだからな……。手を振って駆け出した少女の後ろ姿を視線で追って、そんなことを考える己にギュスタヴは苦笑した。これではミルウーダの慧眼を認めないわけにはいかない。確かにおれはあのクソガキの身を案じ、保護者を買って出ている。
違う方向へ歩けばよいものを、ギュスタヴはあたりを見回した後、少女が駆け出したのと同じ方向へ足を踏み出した。無意識の領域にまで少女の存在が侵入していることについて、ギュスタヴはいまだにはっきりとした自覚を持ってはいなかった。
町に用事があるとギュスタヴに言ったのは、嘘ではなかった。彼と別れた後、歩調を落として少女は街路を行く。ギュスタヴが何の仕事も得られないと考えているわけではなかったが、食糧は少しでも確保しておきたいし、四六時中側に張りついているわけにもいかず、単独で行動する時間がどれほどのものになるか見当もつかないのだから、ギュスタヴと再度顔を合わせるまでは己の面倒は己でみなくてはならない。
とは言え、何の技もない少女にできることと言えば、物乞いか盗みのどちらかしかなかった。道行く者の気まぐれに頼らねばならぬ物乞いでは日々の糧を得るには心許ない。だから少女は、ギュスタヴと知り合った頃にもそうしていたように、警戒の薄い相手を探しては食糧を盗むことで食いつないでいた。時には見つかって追われたり乱暴を働かれたりもするが、それも一過性のものだ。こんな世の中では、ひとりの盗人を成敗している間に別の盗人が獲物を盗み去る。それに気づかぬ者はよほどの間抜けだ。
人気が多いとは言えない街路を行くうちに、昨日の昼間、食糧を盗みに入った店が見えてきた。住居と店舗が一体になったごく一般的な建物で、街路の人気に比例してか、客の姿は見られない。ところがその店の前には用心棒らしき男がふたり、モンスターを従えて立っていて、それに気づいた少女は思わず吹き出した。少女は昨日、たったふたりの腹を満たすにも足らない程度の食糧を盗んだだけなのに、まさか盗人の再来を妨げるために用心棒を用意したのだろうか?
そんなはずもないな、と少女はすぐに思いつきを否定した。どうせ、二日も三日も続けて同じ店に盗みに入る気はない。
ギュスタヴ・マリゲルフと知り合った先の戦争の末期には、少女は彼が所属する騎士団への配給物資が置かれる場所を毎日のように訪れ、日々の糧を得ていた。我が身の安全を思えば限定された場所を繰り返し標的とするなど一般的には賢い方法ではなかったが、時と場合によっては定説を覆すことも可能だ。そういうわけでその食糧置き場へ少女が日参するようになったしばらく後、少女は食糧の配分について騎士同士の間で揉めごとが起こったのを目撃した。
まずいところに出くわした、今日のところはあきらめよう――そう思った時には、騎士のひとりに姿を発見されていた。その騎士は名をウィーグラフ・フォルズといった。彼は手にひとり分の食糧を持ち、それを少女に差し出した。その場に居合わせただけの孤児に食糧を差し出したことに後方の騎士が大声で文句を言い、ウィーグラフはそれに応えて言った。
「これはおまえの分だ。おまえに割り当てられた食糧は、すでにおまえの腹の中だろう」
どうやら後方の騎士、ギュスタヴ・マリゲルフは配給された食糧をすでに腹に収めていたらしかった。おかげで思いもよらないことに、少女は食糧を得ることができたのだが、その場を立ち去ることができず、歯ぎしりするギュスタヴに受け取ったばかりの食糧を差し出してしまった。
それが、ギュスタヴとの出会いだった。それを機に、少女は骸騎士団に配給された食糧を分けてもらうようになった。盗むことでしか食いつなぐことができなかったそれまでを思うと、嘘のように楽な日々だった。それが長く続かなかったことについては何とも思わないが、骸騎士団が解散を強いられ、ギュスタヴが騎士の職を失ってもなお彼に張りついているのは、そういう出会いとつきあいがあったせいだ。
だが、そんな幸運が二度も三度も起こるはずはなかった。だから少女は、そ知らぬ顔をして店の前を通り抜けることにした。その意思が曲げられたのは、思いも寄らないところから伸びてきた腕と声によってだった。
「おい、待てよ! 今は危ない」
警戒する必要など感じてもいなかった不意をつかれて、少女は細い路地から伸びた手に腕をつかまれ、その勢いで危うく転ぶところだった。
「何だよ、おれが何をしたって――」
吐き捨てようとした声は、口を塞がれたおかげで途中で切れた。意外なことに相手は、少女とさほど年の変わらぬ少年だった。その目は警戒心もあらわに路地を向き、先ほどの店のようすをうかがっているようだ。自分が口を塞いだ少女に対する警戒はない。
なるほど、と少女は口の中でつぶやいた。店のあの警戒は、おれのせいじゃなくてこいつのせいか。少女は音を立てぬようにそっと後退し、少年が背にしている壁とは反対側の壁に背を寄せる。少年は少女の動作には気づいてもいないようだ。
軽く腹に入れる程度の食糧よりは価値の高い何かがあの店にあって、それをどうこうしようってところかな。
そう推測を立ててみたら、どうやらそれは的中していたようだった。そうと知れたのは、こちらが聞きもしないのに少年が勝手に話し出したからだ。それも、根拠のない思いこみを交えて。
少年は声をひそめ、早口に喋り始めた。
「おまえが昨日、あの店の偵察に入ったのは知ってるんだぜ。でも、残念だったな。宝石の半分は昨日の夜おれたちがいただいたし、残る半分も逃しゃしないさ。どうだい、手伝うんだったら分け前は公平にしようじゃないか」
そのせりふの途中でぽかんと開いた少女の口は、そう簡単には塞がらなかった。
話すかたわら、少年はずっと街路をうかがっていたので、少女が呆れていることにはまったく気づかなかったようだった。少女はため息をつきこそしなかったが、表情は雄弁だった。目的が宝石だと言うのなら、この少年はそれを金に換えるルートを持っているか、あるいは手引きする輩があるのだろうが、おれが欲しいのは今日一日をしのぐ食糧であって、危険と引き換えに得る大金じゃない。
これは、これ以上少年が勝手に話を進める前にこの場を離れるべきだな。そう思って、少女はそっと少年から離れ、路地の奥へと向きかけた。
その時だった。すぐ側にいた少年の、短い悲鳴が聞こえたような気がした。
通りと少年に背を向けた少女の右隣を、黒い大きな影が通り過ぎた。反射的に見開かれた視界に大柄な獣の後ろ姿が映る。荒々しい咆哮と獣に押し倒された少年の喚き声が強く鼓膜を刺激した。
「誰……誰か!」
無意識に悲鳴に近い声を上げ、少女は向き直って通りへと駆け出した。己を襲った獣に少年はナイフで応戦していたが、一目見ただけでその力の差は知れ、少女が己の身を守るためには早々にその場を離れる他なかった。
通りへ出たら、少女はそのまま安全な場所へと逃げるつもりだった。だが、思うとおりにはいかなかった。店の前では少年の仲間と思われる数人のこどもたちと用心棒とがもみ合い、土埃が立ち、それが少女の視界を妨げた。一瞬、駆け出す方向を迷って少女は足を止めた。
「まだ仲間がいたぞ!」
少女の姿を見つけた男が大声で叫んだ。その体の向きから男が己の存在を仲間に知らせたのだということはすぐに分かった。逃れようと少女はくるりときびすを返し、駆け出した。背後で自分と大差ない年齢のこどもが悲鳴を上げる。
足がもつれて、少女は前のめりに転びかけた。意識の中にはこの場を逃れることしかない。必死でバランスを取り、立ち直ろうとした時、背後で男が剣を振りかぶったのが見えた。
大きく開いた口からこぼれたのは、助けを請う声だったのか、意味を成さない悲鳴だったのか――己の発した音が何であったのかを判断することはできなかった。体勢を立て直すことはかなわず、結局少女はその場に崩れ落ち、したたかに体を打った。己の上に影が落ち、激しい金属音が鼓膜を叩いた。
「チ、援軍か……!」
飛び退った男が吐き捨てる。違和感を得てきつく閉じていた両眼を開くと、追ってきた男の進路を妨げるようにひとりの剣士が少女の前に立っていた。その後ろ姿に、手にした大剣に少女は見覚えがあった。
助かった!
真っ先に思ったことはそれだった。剣を構えた襲撃者が気合いの声を上げて大地を蹴る。再度、金属音が空気を震わせた。それでなくても通りには人気が少なかったが、突然の乱戦のためだろうか、今や争う男とこどもの他には誰の姿も見られない。
高く昇った太陽の光を反射して、襲撃者の手を離れた剣が宙を舞った。
男は襲撃者にとどめを刺そうとはしなかった。ざっ、と少女の前に土埃が立つ。座りこんだまま動けない少女の腕を乱暴につかみ、少女がとっさに立ち上がることも走ることもできないことを察すると、男は幼い体を肩に担いで駆け出した。土埃から離れていく。こちらを向き、放たれる怒号が少しずつ小さくなっていく――。
追っ手を避けるために男が細い路地へと駆けこみ、通りでの乱闘が視界から外れる頃には、少女の視力はすっかり力を失っていた。視界の全体が曇り、痙攣するように激しく震える喉からは嗚咽が散った。何度となく後ろを振り返り、安全を確信した男が歩調を緩めると、少女は一度だけその顔を見上げ、肩口に顔を寄せて大声で泣き喚いた。
ぐしゃ、と音を立てて、男は乱暴にその後頭部を抑えた。細い路地のそのまた先、人ひとりがようやく通れる程度の路地を通り抜け、広い場所へと出ると、少女を抱えたまま脱力したようにその場に座りこむ。少女は男にしがみついて離れなかったし、男の方でも引きはがそうとはしなかった。
「怪我はないな? 畜生……」
少女の後頭部を強く抑えたまま問う男の声には、うなずくだけで精一杯だった。何が起こったのかも判断できないようなごくわずかの間の出来事は、幼い体を萎縮させるには十分すぎる材料だった。
「本当に、神もクソもねェなあ……」
男は吐き捨て、押し黙った。知り合って以来、このこどもが泣き喚くのを見たのは初めてだったし、少女の側でも、男と知り合う前、誰の助けも期待できなかった頃、こうした危機には何度となく遭遇してきたはずなのに、嗚咽を漏らしたのは初めてだった。
怒号は今やどこにも聞こえず、嗚咽の他には小さな用水路を流れる水の音があるだけだった。それでも光景は瞼の裏に甦り、少年たちの喚き声と断末魔はいつまでも鼓膜に反射する。それは己の泣き声よりも大きく脳裏を揺らして、少女はそれをかき消そうとするかのように、男にもたれてむせび泣いていた。
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