骸の行く先
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扉の外の空気はすっかり乾いて、空には太陽がぎらりと光っていた。
廃屋を後にしたミルウーダは路地に立ち止まって太陽を仰いだ後、すぐに歩みを再会した。治安の悪いこのスラム街をひとりで訪れたことを知ったなら、兄は渋い顔をするだろう。女の身でありながら剣を握る道を選んだのは、春を売ることを自尊心が許さなかったからではなくて、兄の性格がそれを許さないだろうと判断したからだ。
街頭に立つ女ひとり買えない兄は生真面目で、情にもろい。だが誰が声をかけるともなく集った義勇兵をまとめ上げ、骸騎士団の名を冠してイヴァリースのために戦ったその姿は頼もしく、どんな不名誉も彼を貶めることはできないとミルウーダは考えていた。
だが何の身分もない民衆をその身をもって勇気づけたに違いないそういう男を、終戦後間もなく王家は切り捨てた。骸騎士団は恩賞を目当てに戦ったわけではなかったが、総力を挙げて守ろうとしたものにあっさりと裏切られるほどの屈辱があろうか。
「指をくわえて黙っているつもりか」
騎士団が強制的に解散されたことにより、戦友は方々に散らばったが、職を求めて都市部にとどまる者は多く、偶然に顔を合わせた者のことばはミルウーダの視界に灯りを与えてくれた。
ウィーグラフは当初、妹の提案に乗り気ではなかった。しかしミルウーダが積極的に動き回り、意志ある者との接触を重ねるにつれ、焦点が定まってきたらしい。兄をその気にさせるためにはあと一押しですむとミルウーダは確信していた。その確信こそが、ミルウーダを単身スラムへと歩ませる原動力だ。
廃屋をいくらも離れないうちに、背後で人が動く気配を感じて、ミルウーダは神経の目をこらして後方をうかがった。そこに殺意がないことが分かれば十分だ。余計な厄介事を避けるため、努めてミルウーダはいっさいの反応を排除しようとしたが、すぐに考えを改めた。
……見ている。
それは奇妙な感覚だった。殺意を向けられるでなく、獲物として値踏みされるでなく、奇異の目で眺められるでなく、ただ、見られている。
ほんのわずかの間、ミルウーダは逡巡した。おかげで足もとは不安定になり、こちらを見つめる者の目には、さぞ不自然に映ったことだろう。
喉を鳴らすと、ミルウーダは立ち止まった。できるだけ何気なく見えるよう、無表情に後方を振り返る。いくらもしないうちに目標の人影をとらえ、ミルウーダの目は見開かれた。
こども……。
ミルウーダは瞬き、唇を結んだ。つい先ほど、自分が出てきたばかりの廃屋の前に、見覚えのあるこどもの姿がある。
肌も服もひどく汚れていたけれど、そのこどもが誰であるのかはすぐに分かった。ここで彼女を見かけるとは、何という巡り合わせだろう! ミルウーダの目を、歓喜の色が訪れた。
目が合ったと思った次の瞬間には、こどもはぱっと身をひるがえし、廃屋の中へと姿を消した。腕の中には大事そうに、食糧と思われるものを抱えていた。
そういうことなら、彼を頼ったわたしの勘は捨てたものではない。ミルウーダは廃屋を向き直ると、唇を笑みの形に変えた。先の大戦中に知り合ったあのこどもとともにいるのなら、十中八、九、ギュスタヴは兄を訪れるだろう。
実に久しぶりに、ミルウーダは存在するとも知れぬ神に謝意を抱いた。このささいな偶然を導いたものが神や運命であるのなら、それによる確信はいかに強い力となってこの背を押してくれることか。
ふたたび廃屋に背を向けると、ミルウーダは歩を再開した。王家への反意を示すため、仲間集めに奔走する日々がじきに終わることを知っている身を勇気づけるには、この偶然はまったくすばらしい材料だった。
廃屋に元骸騎士団騎士の姿を認めた時、少女は顔をほころばせ、安堵の表情を見せた。続いて歩み出す一歩の、何と軽く感じられたことか。
「何で、戻ってきたんだ」
気配を感じた男が投げやりに声を放った。男が不機嫌であることを少女はすぐに察したが、足は重くはならない。埃だらけの床の上を少女は小走りに駆け、男の前に回りこんだ。
「おっさんこそ、何でここにいるんだ」
抱えていたパンを机上に投げ出し、少女はつんと顎を上げる。男の目が驚きに見開かれたことを見てとると、誇らしげに少女は胸を張り、床に倒れていたいすを起こして飛び乗った。
「馬鹿やろう。二度と……」
二度と、おれの前に姿を現すんじゃねえ。
そう言おうとしたが、ことばが出てこなかった。代わりに出たのはため息だ。
先ほどミルウーダがこの廃屋を出てから、いくらも経たないうちに少女は扉を開けた。ということはまず間違いなく、ふたりは顔を合わせただろう。会話をしたとは思わないが、この少女を見てミルウーダが何を考えたのかは察しがついた。
「……こんなところを、いつまでもウロチョロしてんじゃねえ。ここには頭の緩い連中も出入りするんだ……」
ギュスタヴの声には、力がなかった。少女は机上に両肘をつき、にやにやと笑っている。
「そうか。じゃあ、ここは悪いやつらの集会所だ」
「ふん、よく分かったな。分かったらさっさと出て行け」
「分かった。じゃあ、その前にこれを食おう。腹が減ってちゃ逃げるのも大変だ。悪いやつらにすぐ捕まっちまう」
ギュスタヴは腕を下ろし、しばらく沈黙した。視線は机上のパンではなく、得意げな少女を向いている。
「それに、おれ、腹がぺこぺこだ」
ギュスタヴは大きくため息をついて、頭を落とした。少女が机上に手を伸ばし、どこからか調達してきた食糧を半分に分ける。状況を問わず、ふたりは食糧を均等に分けることを約束していた。おとなとこどもという差はあれ、双方の腹を満たすだけの食糧を得られることなどまずないのだから、配分に差をつけることはギュスタヴの矜持を傷つける。
まして、どんな方法を使ったにしろ、これは少女が得た食糧であり、この場に届けられたことをギュスタヴは幸運とするべきだと自覚していた。当時は誰もが同じことをしているのだからと略奪を繰り返した騎士時代を振り返るたび、自身の傲慢な姿勢がこの上なく分不相応で滑稽なものに思われてしかたがなかった。平均的な暮らしに満足していれば、見せしめに移籍されることなどなかっただろう。だがそれは、今になってそう思うというだけの話だ。
それに比べりゃ、このガキなんざ、まったく能天気なもんだよなァ……。
考えた後、ギュスタヴは声を立てずに苦笑した。自身と少女の差とはすなわち、己の立場を承知し、それに基づいた生活をしているかどうかの差だ。
「明日んなったら、仕事でも、探しにいくかァ……」
大きく伸びをして、ギュスタヴはつぶやいた。町外れの斡旋所や酒場にもぐりこめば、紹介料の不要な仕事を見つけることができるかもしれない。これまでの自分の生活を思えば、まっとうな仕事で生計を立てられるとは思わなかったが、ミルウーダに賛同して行動を起こすよりは、はるかに建設的なやり方があるはずだと思っていた。
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