背信者
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「……聡いおまえのことだ。すでに、骸旅団が壊滅の危機に瀕していることなど、承知しているだろう」
このところ激しさを増していた北天騎士団による骸旅団討伐の中、捕虜の代表としてダイスダーグと一対一で向かい合う機会を与えられたあの時、ギュスタヴは剣を帯びてこそいなかったものの、体の自由を奪われていたわけではなく、したがってその気になりさえすれば、ダイスダーグを人質にして脱走を図ることもできたはずであった。
あえてそういう手段に出なかったことには、理由がある。ダイスダーグ・ベオルブというその男が、国民の羨望に値するような男ではないことを、ギュスタヴはうすうす承知していたのである。
現北天騎士団団長、ザルバッグの実兄であるダイスダーグは、かつて、同騎士団の団長を務めたことがある。彼らベオルブ兄弟の父、バルバネス・ベオルブが戦場で病に倒れてから他界するまでの二年ほどのことであり、その地位は、バルバネスの遺言によって弟ザルバッグに譲られることとなった。
遺言による引き継ぎ故、バルバネスがザルバッグを後継に選んだ理由は、対外的には何ひとつ知らされていない。だからこそ、その遺言はさまざまな憶測を呼び、一部の人間にダイスダーグという人間の質を問わせる結果となった。ここで否定的な意見を抱いた人間のひとりに、ギュスタヴは入っている。
ベオルブ家の名が武人としての気高い魂をいかに要求したとしても、中には、それに沿うことのできぬ血族のひとりふたりはあるものだ。「聡いおまえのことだ」というダイスダーグの呼びかけは、ギュスタヴにとってその証明のようなものだった。
それはギュスタヴが、己の行いを知ればこそだ。少なくともギュスタヴは、ベオルブの望む誇り高い騎士にはなりえぬ男だった。剣の強さを武器とした、生活のために戦う職業騎士であり、故国のために戦うなどということばは都合の良い大義名分に過ぎなかった。
そしてギュスタヴにはそういう自覚がある代わりに、捕虜の扱いに対する遠慮はなく、強さと一定の指導力を認められ、小隊を任せられるに至った後の支配地における行為――略奪、強姦、奴隷の売買などが騎士団内で問題視されるようになるのは、時間の問題だったのである。
「ギュスタヴ・マリゲルフ、おまえは何故、戦う――」
淡々とした問いの裏にひそむ威圧感に、本心を暴露すれば、ギュスタヴは圧倒されていた。
いつの時代も、人を支配するのは、人だ。この世のすべてを神が支配しているなどと信じる者など、ギュスタヴにとってはただの狂信者でしかない。神が万人を支配し、万人が平等であるなどと、どうして信じることができよう。現世がいかに苦しくとも、死後は美しい世界へ旅立つことができるのだから今は耐えよなどと言われたところで、どうしてそれを了解することができよう。
それらの馬鹿げた弁舌は、教会の支配を強めるためのただのこじつけだ。
信仰はいい。人を盲目にさせる。人を支配しているのは人ではなく神であるのだという刷り込みは、信仰のない者には通用しない。そう、このおれが神を信じぬ典型的な人種であるように――。
「革命のためか?」
低い声。
「違うだろう?」
おのれのせりふを即座に否定したダイスダーグの顔が、いつしかこちらを向いていた。
「そう、おまえは革命のために戦っているわけではない――私には分かっている」
表情らしい表情のないダイスダーグに向かい合い、ギュスタヴの方は表情を押し殺すだけで精一杯だった。
情けない。脅迫されているわけでもない、逃げ場を封鎖されているわけでもないのに、体が言うことをきかないとは。
音もなく、ダイスダーグの唇の片端がつりあがり、その肌にダイスダーグは親指を当てた。顎を包み込むようなその手の動きは決して素早くはなく、そのしぐさが無意識のものであることを示しているかのようだ。ダイスダーグの表情の読めぬ目はずっとギュスタヴを凝視しており、ギュスタヴの方でも、それに気づいていた。
試されているというわけだ。完全に。
ごくりと唾を飲み込んで、ギュスタヴはダイスダーグの瞳を見返した。
短い沈黙。ダイスダーグの唇が、ふたたび笑みを形作る。
「……生きるためだな。奪ってでも生きる、他人のことなどどうでも良い。それがおまえの「戦う理由」だろう」
ダイスダーグの表情は、唇だけを笑みに似せたまま、それ以上は動かない。その瞳の冷たさは、ギュスタヴに悪寒を感じさせるに十分なものだった。
かっ、と音を立てて床を蹴り、ふたたびダイスダーグは窓に向き直る。
「おまえの転籍には、それなりの理由があったのだよ。何、少々不運だっただけのことさ」
声はあいかわらず淡々としており、その真意を汲み取ることは難しかったが、ふたたびダイスダーグがこちらに背を向けたことにギュスタヴは少々の安堵を覚えていた。少なくともこの時点で、ダイスダーグの品定めが一段落したという点にだけは、確信が持てたのである。
おかげで、少しばかりものを考える余裕も生まれた。表情にも、いささかの余裕が表れる。
そう――不運、か。なんと簡単な形容。
たったそれだけで片付けられてはたまらない。国中の羨望を集める最強の騎士団の一員として一般に名を知られる程度にはなった直後に、どこの馬の骨とも知れぬ平民軍団の中に放り込まれ、挙句、戦後には何の報償も与えられずに平民どもとともに騎士を解雇された過去を、不運とただのひとことで片付けられては――。
「……少しばかり、暴れすぎたというのも確かだがな。何しろこれほどの規模の騎士団のことだ、おまえのような騎士は腐るほどいたさ。だがそんな中、おまえに白羽の矢が立ったのは、不運としか言いようがない。おまえは見せしめだったのさ」
ああ、そのとおり。喉の奥にギュスタヴは声を飲み込んだ。
見せしめだったのだ、おれは。騎士団の規律を整えるための。
この時ギュスタヴは、表情には不自然な笑みを作りながら、内心ではその不運に限りない感謝を覚えていた。正確には、自分を襲ったその不運が、ここへ至るまでのひとつの伏線でしかないことを、ここにきてギュスタヴは了解していたのである。
ダイスダーグから指示された作戦を展開する中で、その要とも言うべきエルムドア侯爵の誘拐が、予定から大幅に遅れたのは痛手だった。
五十年の長きにわたった戦争を、和平協定を結ぶ形で終戦に至らせはしたものの、協定内容にはイヴァリース側の譲歩が多く盛り込まれており、それは和平とは名ばかりの負け戦であった。天騎士バルバネスを終戦間際に失いこそすれ、イヴァリースの戦力の要たる将は数多く、彼らの存在が敵国オルダリーアを恐れさせたのもまた、事実ではある。
だが、実質的な敗戦国たる道を自ら選択したイヴァリースは、周辺国に対する戦争借款や賠償金の返済に終われ、戦時中から続く経済の混乱にはますますの拍車がかかることとなった。平民により結成された義勇団、骸騎士団の解体の背後には、そうしたイヴァリースの経済危機がある。
つけ加えて、戦中から続く物資の不足と飢饉。解雇された多くの騎士の野盗への転身。治安の悪化を止める術を、イヴァリースは持たなかった。
そんな中で台頭してきたのが、現イヴァリース王家、アトカーシャ家の世継ぎ問題である。ただ、戦中は何かと霞みがちであったこの問題に目をつけたのは民衆ではない、民衆を守り国を支配する、執政者の側である。
内政を立て直すために敗戦国たる道を選んだイヴァリースという国は、この時期、国の要たる部分にいくつもの懸念事項を抱えていた。
アトカーシャ王家は、かつてななつの小国に分かたれていたイヴァリースを強大な軍事力と支配力によって掌握し、その支配は十八代国王オムドリア三世まで引き継がれてきた。しかし自身も勇猛果敢な騎士であり、筆頭に立ち軍を率いた前王デナムンダ四世、オルダリーアとの開戦に打って出た前々王デナムンダ二世らとは打って変わり、オムドリア三世ははなはだ王の器を備えぬ人物であった。国政は重臣や王妃に任され、イヴァリース軍総大将の名を冠してはいたものの軍事に疎くまた臆病な人柄で、軍部への統率力、指導力を彼に要求することは無謀の一言に尽きた。生まれついて病弱であり、体調不良を原因に戦略会議や謁見の間に顔を出さぬことも多く、後世、敗戦の原因の一端を彼に見る歴史学者は多い。
さて、そのオムドリア三世であるが、妃ルーヴェリアとの間には三人の王子をもうけている。ただし上のふたりに関しては生後まもなく病死しており、ゆいいつ残された王子オリナスは生後間もない。また、病弱なオムドリア三世に世継ぎのないことを憂えた元老院はオムドリア三世の腹違いの妹、オヴェリア王女をオムドリア三世の養女に縁組させていた。したがってオムドリア三世は、王子の誕生と王女の養子縁組によって、ふたりの世継ぎを得たことになる。
問題は、そのふたりの世継ぎを支える者たちの権力バランスであった。
オリナス王子の生母ルーヴェリアの兄、ラーグ公ベストラルダはその紋章から「白獅子公」の異名を持つ、イヴァリース北西部ガリオンヌ地方の支配者である。配下にはイヴァリース最強と名高い北天騎士団を有しており、オリナス王子が即位したあかつきには、彼の権力の増大は疑いようのないところである。
一方のオヴェリア王女は、オムドリア三世とは腹違いの兄妹でありながら、元老院によって王の養女とされた複雑な経歴の持ち主である。王妃ルーヴェリア第三子懐妊が明らかになる直前の養子縁組によるものであり、世継ぎがないことを憂えたという元老院側の説明はもっともであるが、それよりはむしろ、ラーグ公の権力増大を懸念したがための養子縁組であるというのが正直なところであろう。
そしてこの確執に加わるのが、オムドリア三世の叔父であり、北天騎士団と対をなすイヴァリースの双璧、南天騎士団を配下に従える「黒獅子公」ゴルターナ公ダクスマルダである。オヴェリア王女は生後間もなく修道院に移され、十五年の生の大半を修道院で過ごしているため元老院以外には特定の庇護者を持たず、彼女が王位を継ぐ場合に摂政として選ばれるのは、ゴルターナ公であろうという見方が多い。
王位を冠するは、病弱なオムドリア三世。
彼のふたりの世継ぎの背後に見え隠れする、ふたりの公爵の影――。
ベオルブ家はラーグ公家の尖兵として、早期より工作活動に乗り出していた。
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